国際政治や戦争のことは好んで書きたいとは思いません
ですが世界中で起こっていること とりわけロシアのウクライナ侵攻に関しては「対岸の火事」とはどうしても考えられません
①父母を犯し殺し その子を拉致してロシアに連行することを「保護」と主張する
②侵攻初日から自軍が使っていた「クラスター爆弾」に関し ウクライナ使用すれば激高
③カホクカダムを自分たちで爆破し その結果自軍も流される大被害となった これをウクライナがやったという
④ザポリージャ原発に爆弾を仕掛けておいて これもウクライナがやったという
このような腐った 呆れ果てた主張をしているのが「国」であり「大人」であることを考えれば 若い人々に 子どもたちに 大人の教えは「正しさなどこにもありゃしない」と反論されてもグゥの音も出ません
ロシアのウクライナ侵攻を「対岸の火事」と思い 自分の生活に一所懸命になっていればそれはそれで幸福かも知れません けれど中国と北朝鮮の状況を考えれば いつ飛び火してくるのかわかりません ロシア 中国 北朝鮮は「独裁国家」なのですから
どのような屁理屈 どのような不条理も「正しい」と言ってのけるでしょう
今ウクライナ関連の動画を見ていると「今後の日本の在り方の変化の必要性」 即ち憲法第9条「改憲」を求めていることが その根底に見え隠れしています
日本に「NATO事務局」を新設するという事は 極東地域でも紛争が起こることが予想されるからでしょう その時「戦争放棄」「平和主義」を掲げ アメリカの傘の下でヌクヌクといられるでしょうか… 私にはわかりません 本当にどうしたらいいのかわからないのです
北大西洋には位置していませんが日本及び韓国に「NATOに入れ」と言われたら どうしたらいいのでしょう… 入ったその瞬間から「自衛隊」ではなく「軍隊」になる
「それは未来の人々が決める」というのは無責任だとも思うのです
第二次世界大戦が起きる前日に書かれた オーデンの詩を私は今も噛みしめています
「1939年9月1日」September 1, 1939(壺齋散人訳)
52番街の安酒場で
不安と恐れを抱きながら
俺がひとりで座りこんでいると
低劣でいい加減な10年間が
希望もなしに消え去っていく
怒りと恐怖の感情が
地上のところどころで
波のように渦巻いて
俺たちの生活にまとわりつき
名状しがたい死の匂いが
9月の夜を挑発する
まともな学問なら
ルターから今日に到るまで
文明を狂気に駆り立てた
すべての罪業を明らかにできる
リンツで起きたことを見よ
どんなに巨大な妄想が
異様な神を作り出したことか
どんな生徒たちだって
人に対してなされた悪と
それへの復讐について
学習するようになるものさ
追放の身のトゥキディデスは
デモクラシーについて何がいえるか
独裁者たちが何をするか
老人たちが墓場にむかって
どんな繰言を繰り返すか
そのことをよく知っていた
その上で歴史書に書き込んだのだ
追い払われた啓蒙運動
習慣を形成することの苦しみ
失敗と痛恨と
人はこれらすべてを甘受せねばならぬと
盲目の摩天楼が
そのすさまじい高度によって
人間の集合的な力を示している
その中立の空の中に
諸民族の言葉が競い合って
空虚な命題を注ぎ込む
だがだれも幸福な夢を
何時までも見続けていられない
鏡の中から現れてくるのは
帝国主義の顔と
国際的な悪行だ
バーに並んだ顔は
平凡な毎日にしがみついている
灯りは消してはならぬ
音楽はいつでもやってなきゃならぬ
何もかもが共謀して
この砦を家具のように
見せかけようとしている
俺たちがいったいどこにいるのか
わからせまいとするかのように
俺たちときては幽霊のいる森の中で迷い
夜を怖がっている子どもみたいだ
戦闘的なたわごとも
重要人物の演説も
俺たちの望みほど粗野じゃない
狂ったニジンスキーが
ディアギレフについて語ったことは
普通の人間についてもいえることだ
男と女の骨の髄にまで
染み付いている罪業は
持ち得ないものを熱望することだ
普遍的な愛では満足できずに
自分ひとりだけが愛されることを熱望する
因習の闇から
倫理的な生活へと
おびただしい数の通勤客がやってきて
いつもどおり朝の誓言をする
「今日も女房を大事にして
一生懸命働くぞ」
頼りない亭主たちが毎日起きるのは
変り映えのしないゲームをするためさ
だれがこいつらを解放してやれるだろう
だれがつんぼの耳に語りかけられるだろう
だれがおしの口に語らせられるだろう
もつれた嘘を解くために
俺が持っているのはひとつの声だけだ
その嘘はありふれた人間の
脳みそに巣くうロマンティックな嘘だったり
空を手探りする
高層ビルの権威に巣くう嘘だったりする
この世に国家などというものはない
また孤独な人間というものもない
飢えは市民にも警察官にも
わけ隔てなく訪れる
俺たちはお互いに愛し合わねばならぬのだ
宵闇の中で無防備に
世界は昏睡して横たわっている
だが正義がメッセージを交し合うところ
そういうところではいたるところ
点々と光が交差して
まぶしい耀きを放っている
俺もエロスと泥から作られており
同じく否定と絶望に
付きまとわれている限りは
この光の交差のような
肯定の炎を放ってみたいものだ
kei
※ニジンスキーは天才と呼ばれるバレエダンサーであり振付師だった ニジンスキーと同性愛にあった興行主ディアギレフと共に世界の評判となった だがニジンスキーはハンガリー人の女性ダンサーと恋に落ち結婚してしまう ディアギレフは激高し2人を解雇 その後ニジンスキーは精神を病み始める
最後の公演のあと、精神病院に入院するまでの6週間で書かれた「ニジンスキーの手記」 狂気を孕んだ言葉の数々…
“私は四角い舞台はきらいだ。丸い舞台が好きだ。”
“私はキリストである。私は人びとを助けるだろう。”
“性欲は欲しくない、精子は欲しい”