kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「NATOに来いと誘われたら 日本はどうするのか?」

国際政治や戦争のことは好んで書きたいとは思いません

ですが世界中で起こっていること とりわけロシアのウクライナ侵攻に関しては「対岸の火事」とはどうしても考えられません

①父母を犯し殺し その子を拉致してロシアに連行することを「保護」と主張する

②侵攻初日から自軍が使っていた「クラスター爆弾」に関し ウクライナ使用すれば激高

③カホクカダムを自分たちで爆破し その結果自軍も流される大被害となった これをウクライナがやったという

ザポリージャ原発に爆弾を仕掛けておいて これもウクライナがやったという

このような腐った 呆れ果てた主張をしているのが「国」であり「大人」であることを考えれば 若い人々に 子どもたちに 大人の教えは「正しさなどこにもありゃしない」と反論されてもグゥの音も出ません

 

ロシアのウクライナ侵攻を「対岸の火事」と思い 自分の生活に一所懸命になっていればそれはそれで幸福かも知れません けれど中国と北朝鮮の状況を考えれば いつ飛び火してくるのかわかりません ロシア 中国 北朝鮮は「独裁国家」なのですから

どのような屁理屈 どのような不条理も「正しい」と言ってのけるでしょう

 

ウクライナ関連の動画を見ていると「今後の日本の在り方の変化の必要性」 即ち憲法第9条改憲」を求めていることが その根底に見え隠れしています

 

日本に「NATO事務局」を新設するという事は 極東地域でも紛争が起こることが予想されるからでしょう その時「戦争放棄」「平和主義」を掲げ アメリカの傘の下でヌクヌクといられるでしょうか…  私にはわかりません 本当にどうしたらいいのかわからないのです

北大西洋には位置していませんが日本及び韓国に「NATOに入れ」と言われたら どうしたらいいのでしょう… 入ったその瞬間から「自衛隊」ではなく「軍隊」になる

「それは未来の人々が決める」というのは無責任だとも思うのです

第二次世界大戦が起きる前日に書かれた オーデンの詩を私は今も噛みしめています

 

「1939年9月1日」September 1, 1939(壺齋散人訳)


  52番街の安酒場で
  不安と恐れを抱きながら
  俺がひとりで座りこんでいると
  低劣でいい加減な10年間が
  希望もなしに消え去っていく
  怒りと恐怖の感情が
  地上のところどころで
  波のように渦巻いて
  俺たちの生活にまとわりつき
  名状しがたい死の匂いが
  9月の夜を挑発する

 

  まともな学問なら
  ルターから今日に到るまで
  文明を狂気に駆り立てた
  すべての罪業を明らかにできる
  リンツで起きたことを見よ
  どんなに巨大な妄想が
  異様な神を作り出したことか
  どんな生徒たちだって
  人に対してなされた悪と
  それへの復讐について
  学習するようになるものさ

 

  追放の身のトゥキディデスは   
  デモクラシーについて何がいえるか
  独裁者たちが何をするか
  老人たちが墓場にむかって
  どんな繰言を繰り返すか
  そのことをよく知っていた
  その上で歴史書に書き込んだのだ
  追い払われた啓蒙運動
  習慣を形成することの苦しみ
  失敗と痛恨と
  人はこれらすべてを甘受せねばならぬと

 

  盲目の摩天楼が
  そのすさまじい高度によって
  人間の集合的な力を示している
  その中立の空の中に
  諸民族の言葉が競い合って
  空虚な命題を注ぎ込む
  だがだれも幸福な夢を
  何時までも見続けていられない
  鏡の中から現れてくるのは
  帝国主義の顔と
  国際的な悪行だ

 

  バーに並んだ顔は
  平凡な毎日にしがみついている
  灯りは消してはならぬ
  音楽はいつでもやってなきゃならぬ
  何もかもが共謀して
  この砦を家具のように
  見せかけようとしている
  俺たちがいったいどこにいるのか
  わからせまいとするかのように
  俺たちときては幽霊のいる森の中で迷い
  夜を怖がっている子どもみたいだ

 

  戦闘的なたわごとも
  重要人物の演説も
  俺たちの望みほど粗野じゃない
  狂ったニジンスキーが 
  ディアギレフについて語ったことは
  普通の人間についてもいえることだ
  男と女の骨の髄にまで
  染み付いている罪業は
  持ち得ないものを熱望することだ
  普遍的な愛では満足できずに
  自分ひとりだけが愛されることを熱望する

 

  因習の闇から
  倫理的な生活へと
  おびただしい数の通勤客がやってきて
  いつもどおり朝の誓言をする
  「今日も女房を大事にして
  一生懸命働くぞ」
  頼りない亭主たちが毎日起きるのは
  変り映えのしないゲームをするためさ
  だれがこいつらを解放してやれるだろう
  だれがつんぼの耳に語りかけられるだろう
  だれがおしの口に語らせられるだろう

 

  もつれた嘘を解くために
  俺が持っているのはひとつの声だけだ
  その嘘はありふれた人間の
  脳みそに巣くうロマンティックな嘘だったり
  空を手探りする
  高層ビルの権威に巣くう嘘だったりする
  この世に国家などというものはない
  また孤独な人間というものもない
  飢えは市民にも警察官にも
  わけ隔てなく訪れる
  俺たちはお互いに愛し合わねばならぬのだ

 

  宵闇の中で無防備に
  世界は昏睡して横たわっている
  だが正義がメッセージを交し合うところ
  そういうところではいたるところ
  点々と光が交差して
  まぶしい耀きを放っている
  俺もエロスと泥から作られており
  同じく否定と絶望に
  付きまとわれている限りは
  この光の交差のような
  肯定の炎を放ってみたいものだ

kei

ニジンスキーは天才と呼ばれるバレエダンサーであり振付師だった ニジンスキーと同性愛にあった興行主ディアギレフと共に世界の評判となった だがニジンスキーハンガリー人の女性ダンサーと恋に落ち結婚してしまう ディアギレフは激高し2人を解雇 その後ニジンスキーは精神を病み始める

最後の公演のあと、精神病院に入院するまでの6週間で書かれた「ニジンスキーの手記」 狂気を孕んだ言葉の数々…

“私は四角い舞台はきらいだ。丸い舞台が好きだ。”

“私はキリストである。私は人びとを助けるだろう。”

“性欲は欲しくない、精子は欲しい”