トゥキディデスの言う人間の行動の源泉が名誉心 恐怖心 利得心であるならば 性善・性悪を考える前に「納得してしまったので むしろ安心した」気がした
…名誉心、恐怖心、利得心という何よりも強い動機の虜となった我らは、手にしたものを絶対に手放すまいとしているにすぎない。また強者が弱者を従えるのは古来世の常、決してわれらがその先例を設けたわけではない。… 正義を説くのもよかろう、だが力によって獲得できる獲物が現れたとき、正邪の分別にかかずらわって侵略を控える人間などあろうはずがない。
そうだ 私もそういう人間だ
善なること 正義心を持とうとする人に どうこう言うつもりは全くない またそのような行いは 尊敬することも少なからずあるだろうと思う
ただし このような心持と思索からは「人がなぜ戦争をするのか 独裁者になるのか 簡単に攻め入り殺してしまうのか」わからないし 説明がつかない そこで思考は停止する
程度の差こそあれ 私は小プーチンかも知れぬ
それを肯定し それでいいとは思わないが 自分の中に名誉心 恐怖心 利得心が無いかと言えばウソになる 年齢と共にそれは減少する傾向にあるが やっぱり「ある」
このように人間の悪しき側面を「汚れたくない」と 切り離してしまうのは容易いし
「悪の心理」をスルーしてしまうのも簡単だが
私はフランシス=ゴヤの「黒い絵」のような心も持ち合わせていたいと思う
悪と善は 表裏一体か 集合か補集合みたいなものかも知れない
ただ美しいモノを追いかけ 描く者にはなりたくない
『愛蓮説』については以前書いた 「蓮は泥の中より出る」
清廉と美の化身として 仏像の台座等にも彫られる蓮
しかしおそらくは「泥」にも深く大きな意味がある
ウクライナ ロシア イスラエル ハマスの状況をずっと追っていたが 徐々に減りつつある
それはトゥキディデスの語る人間像やオーデンの言葉から「泥である自分」を受け入れつつあるから…だとも思う
花ばかりを見ていても あんまり変われない 水面の下に注意を向ける
kei