kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「泥とフライドチキン」

中国の儒学者で周敦頤が詠んだ『愛蓮説』は好きな詩である

 

水陸草木之花、可愛者甚蕃。

陶淵明独愛菊。

自李唐来、世人甚愛牡丹。

予独愛蓮之出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、不蔓不枝、香遠益清、亭亭浮植、可遠観而不可褻翫焉。

予謂、菊華之隠逸者也、牡丹華之富貴者也、蓮華之君子者也。

噫、菊之愛、陶後鮮有聞。

蓮之愛、同予者何人。

牡丹之愛、宜乎衆矣。

 

書き下し文

水陸草木の花、愛すべき者甚だ蕃(おお)し。

晋の陶淵明、独り菊を愛す。李唐自(よ)り来(このかた)、世人甚だ牡丹を愛す。

予は独り蓮の汚泥より出でて染まらず、清漣に濯(あら)はれて妖ならず、中は通じ外は直く、蔓(つる)あらず枝あらず、香遠くして益(ますます)清く、亭亭として浄(きよ)く植(た)ち、遠観すべくして褻翫(せつがん)すべからざるを愛す。

予謂(おも)へらく、菊は華の隠逸なる者なり、牡丹は華の富貴なる者なり、蓮は華の君子なる者なりと。

噫(ああ)、菊を之れ愛するは、陶の後に聞く有ること鮮(すくな)し。

蓮を之れ愛するは、予に同じき者何人ぞ。

牡丹を之れ愛するは、宣(むべ)なるかな衆(おお)きこと。

 

私も

予は独り蓮の汚泥より出でて染まらず、清漣に濯(あら)はれて妖ならず、中は通じ外は直く、蔓(つる)あらず枝あらず、香遠くして益(ますます)清く、亭亭として浄(きよ)く植(た)ち、遠観すべくして褻翫(せつがん=「なれなれしくする」の意)すべからざるを愛す。

だから 「蓮」が好きになった

 

ただし 今私にかかる引力は「蓮の花の美しさ」ではなく「泥」の方

 

人間は神によって「泥から作られた」という話があるが

自分を含めて「泥人形のまま」ではないかと 感じることが少なからずある

美しくない 醜い。

 

一度だけ食するために鶏の首を刎ねたことがある

祈りをささげた後 鋭利な刃物で首と胴体を離れ離れにした

そのあとは草叢の生えた庭に放つだけ…血飛沫をたてながら羽ばたき 

何分か経った後 死んでいる これは血抜きのために必要な過程

 

コンビニでは200円くらいで フライドチキンが販売されている

部活を終えた中高生は 友人と雑談しながらそれにかぶりついている

これは「日常的光景」 だからどうこう言うことは無い

 

ただ いくつかの学校で「鶏の首を刎ねる授業」をやったり やろうとしたとき

PTAから猛反対を食らい やってしまうと校長が謝罪したり 計画だけで終わる

「これは日常的ではない」

 

子どもに生物を殺す場面を見せることが 日常的でないのか

「残酷」とPTAが反対する光景が日常的じゃないのか

「やめたほうがいい。」と指導する文科省教育委員会がヘンなのか

全部ひっくるめて日常的じゃないのか よくわからんが「日常的じゃない」

 

こんがり揚がったチキンは 「蓮の花」

それを食べ 花だけ見て育ち続けた若者や大人に 私は興味が持てない

 

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