kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「一人一つの家」②

前回の記事から日が開いてしまった 

「特に書くことがない」と思い始めたら なんで日々自分は書いてんだ?と疑問を持ち始め これは日記だから…と考えても わざわざ日記を公開するのもヘンな話 とか思い続けると よくわからなくなってきた。

前回書いたことはW・H・オーデンの詩 「1939年9月1日」を意識して書いたものだった

第二次世界大戦前夜」に書かれた この詩の中に以下の一節がある

  男と女の骨の髄にまで
  染み付いている罪業は
  持ち得ないものを熱望することだ
  普遍的な愛では満足できずに
  自分ひとりだけが愛されることを熱望する

(略)

  この世に国家などというものはない
  また孤独な人間というものもない
  飢えは市民にも警察官にも
  わけ隔てなく訪れる
  俺たちはお互いに愛し合わねばならぬのだ

先進国と言われる国に住む人は 飢えていないためか 世相のためか

「互いに愛し合わなければならぬのだ」という考えは持っていない

そのくせ

「普遍的な愛では満足できずに 自分ひとりだけが愛されることを熱望する」

という欲望は持っている

物質的に豊かな者ほど 飢えを知らぬ者ほど その傾向が強くなる

今取り沙汰される お笑い芸人松本氏の本音はおそらく これであっただろう

彼の「家の在り方が壊れてしまった」とも思われる

 

家には当然 ドアも窓もある

 

それはその人によって 色も形も大きさも異なる

ひっきりなしに誰かが出入りする家もあれば

遮光カーテンがずっと閉じたまま という家もあるだろう

セキュリティシステムが滅多やたらに高い家もあれば

崩れかかった家もある

 

ただし 例えばウクライナ 例えばガザ… 戦争の中では「一人一つの家」は維持できない

物理的な崩壊もあるが オーデンの言う通り「互いに愛し合わなければ生きていけない」

平安の世は 貴族は「通い婚」だったが 平民は違う 飢えており 小さなあばら家に住んだはずだ

だから「一人一つの家」の意識は持てなかっただろう

 

現代の若者に「ごちそう」がないように 自分の家(部屋)があるのは当然で それがまるで「砦」のように 他者を受け入れない家になっている場合もあるかもしれない

 さてなぁ…    「豊かさ」とは何だろう

東京の駅近の1DKに住むことかい?

…と ここで「少子化対策」を思いついた 第2子までしかいない4人家族は IDKしか住めない法 というのを作ってみてはどうか?また 都心では男女2人なら割引価格にするとかw 金持ち貧乏関係なしで

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