kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「蜘蛛の糸」-水原一平-

昼まで眠っていたら「怒っている自分」の夢で 目が覚めて辟易した。

表題はもう触れたくない一件だったが 大谷翔平選手の会見によって その様相も事の大きさも 全く異なるモノになってしまった…と私は感じた

当初の水原一平氏のコメントでは「大谷選手に負債を打ち明け 彼が肩代わりした」としているが 当の大谷選手は「韓国での開幕戦まで全く知らなかった」と全く違う発言をした

「さて、どっちが真実?」と 世間の意見は半々という状況。

推理や意見は半々かもしれないが 仮に大谷選手の言っていることが正しければ 水谷一平氏は「とんでもない悪行」を起こしたことになる

それは 雇用者である大谷翔平をだましたこと…よりも

賭博によって6億8000万という巨額の負債を背負ったこと…よりも

「当初の取材に対し大谷選手を加担させた」という虚偽の発言にある

ベースボールに対し 真摯に 元気に ストイックに取り組んでいる選手がどれ程いるのか知らないが その人に恩を受けながら「選手生命を窮地に追いやる発言」をしたことになる

これは大罪だと思う

「恩を仇で返す」と言う 「首を吊った者の足を引っ張る」とも言うかも知れない 呆れるほどの質の悪い虚偽発言 ということになる

 

娘のテスト問題だったか どこかの中学校のテスト問題だった忘れてしまったが 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品の中で「三 に該当する文章は必要か?不要か?」どちらかを選んだ場合 その理由を述べよ。 というものだった。

 御釈迦様は極楽の蓮池はすいけのふちに立って、この一部始終しじゅうをじっと見ていらっしゃいましたが、やがて犍陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする犍陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足(おみあし)のまわりに、ゆらゆら萼(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好よい匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう。

三は 当人の独占欲によって蜘蛛の糸が切れ 犍陀多が地獄に落ちた後の お釈迦様のいる天上世界の様子である

私はこの 三の章こそが「芥川龍之介」という作家の真骨頂だと思う まるで蓮の花の芳しい香りがただよってくるような 地獄と真逆の世界が描かれている このように「真逆・対比」を書けるから芥川は天才なのだろうし 芥川は「児童文学」として 軽々と書き上げたのではないかと感じるくらいだ

何故書けるのか…答えは簡単だろう 芥川龍之介にとって「犍陀多こそが人間の本性」だと 眉一つ動かさず言えるからだ

 

大谷選手の言っていることが正しければ 水原氏のしたことは正に犍陀多と同じだと思う

大谷選手にとって自分の命と等価の物を 汚し 選手生命を奪い取る危険性を知っていながら答えていたことになる

ならば 人間の本性は 芥川の言う通り「犍陀多」だということになる 自らが助かるならば恩ある者さえ蹴り落とす

そんなこともあってか どこか怒っていたのかもしれない

しかし 「一人の人間を通じて それが本性」だと断言できるわけでもない…

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