kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「蜘蛛の糸」‐犍陀多 水原一平-2

昨日は運動もせず 早々と眠ってしまった

胸の中がスッキリしないのだ 表題に書かれている「水原一平」彼は犍陀多だったが

今この世界に 無辜なる人 心澄んだ人がいるのはわかる。けれど…

芥川龍之介に「な?人などやっぱり犍陀多が本性だっただろ?」と嘲笑されているようで…それが真実かもしれないと思うと どんどん不機嫌になっていった

違法賭博で失った金は280億 これは大谷の財布から出ている 得た金は220億 これは水原の懐に入る これを2年間続けていた。「確信犯」としか言いようがない そんな男がなぜ大谷とキャッチボールをできるんだ? 「博打中毒」ではなく 鉄面皮なのじゃないか?

多大の借金を背負っている状態では マフィアの手から逃れられず それで自白したのだろうが であるなら どこまで行っても「自分が助かりゃ 恩人でも踏みつけて地獄に落とす」やり方を用いていたことが分かる それを水原一平という個人としでではなく「犍陀多」に例えられる「むき出しの人間」として見た時

私はガッカリした

私は彼にも 犍陀多にも「なぜ?」と問う気はない

今起きてる数々の事件を見ても 周囲を見回しても そして「自分自身を真剣に見ても」無縁でないことがわかる いいや 自身も犍陀多かも知れぬ。と思う

それくらい「巷にあふれかえっている事」 …だが 不毛の回転思考である

芥川龍之介が 不毛のひび割れた荒れ地の中を 一人歩んでいたことは知っている

だが それが全てであるわけでなく 「本性」と言い切るには尚早というもの。

 

水原さんよ。

「あんたは 多くの人をガッカリさせた。と同時に資本主義の申し子なのかも知れない」

「カネ」で犍陀多に堕ちるなど「愚の骨頂」だ。

 

オーデンの詩がぶり返してくる

男と女の骨の髄にまで
染み付いている罪業は
持ち得ないものを熱望することだ
普遍的な愛では満足できずに
自分ひとりだけが愛されることを熱望する

 

kei