kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

人を「信じる」ということ

イヤな記事を書いたところで気分は晴れることがない 

だから今の天気同様「雨の降りそうな曇天」

先の記事やアニメ「僕の心のヤバいやつ」を混合し 考えていたことがある

それは「『信じる』とはなにか?どういうことか?」ということ

水原一平は殆どの人に「いい人」だと信じられていた だが勝手にそう思い込んでいただけ

アニメ「僕の心の…」も 中1年 主人公の目つきの悪い小柄な少年は 当初自分以外を信じることが出来ず いつも孤立し「猟奇殺人」とかヤバ気の本を開いていた 教室の中でわざわざ表紙も隠すことなく開くのは「他者を寄せ付けぬために見せている」という意図もあるわけだ そこに 身長171cm モデルもやっている お菓子大好き美少女が「大らか」に飛び込んで来る その女子はいつも放課後図書室に寄る 理由は隠れてお菓子を食べるため 親友の女子が「菓子アレルギー」だということもあって 食事禁止であっても図書室でヒッソリとゴッソリ食べる 主人公の小柄な少年は「本探し」と「ぼっちになるため」図書室にいつもいる…こうして2人の関係の素地が出来ていく ヒロインは図書室で「ねるねるねるね」を作ろうし ペラペラの容器を水飲み場まで取りに行って戻って来るものの 容器が軽すぎて何度も水をこぼしている そのシーンが一番笑えた。他者を寄せ付けない少年がヒロインに心を開いていく ヒロインもまた 不愛想ながら繊細で優しい心を持つ主人公に惹かれていく でも2人共「告る」ことは一歩手前で止まってしまい 気持ちを率直に伝えることができない それが24話続くのである 

話の内容はさておき カップルになっていないためか 互いに「信じる」という言葉を一切告げることはないし 使わない ただ衝動的な行動や涙で情があふれ出る ここら辺が人気の理由なのではないかと 私は思った

 

「信じる」ことはあることとして それを言葉で発した瞬間 それは告げられた者の重荷となり 拘束へと変わる だから使うもんじゃない。と思う

 

「スター」「有名人」「学識者」「インフルエンサー」という肩書の人々は 実は単なるタダの人 ただ勝手に信じる者が複数いるから 沢山いるから「荷を背負っている状態」なのだと思う それが裕福さをもたらし 愛されることに繋がるとしても どこか「不自由」で どこか「異常」 …と感じるのは私だけだろうか。


www.youtube.com

kei