kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「異質の者」

2021年02月23日記事

AURA(アウラ)~魔竜院光牙最後の闘い~というアニメを観始めた スタッフ紹介は今のところ第1話のみ 今まで3話まで観終えたがスタッフロールどころか主題歌もエンディング曲も無い
3話までのストーリーもアニメの題名とは全く異なり 主人公の高校生少女は「佐藤」という名字で新学期早々1週間登校して来ない 同じクラスには同じ「佐藤」という名字の少年がおり 机に教科書を忘れたことに気づき 夜中 学校に侵入し教室に向かおうとすると 階段の踊り場でオモチャじみた長大な杖を握りしめ魔女のようなローブを身に着けた少女が立っている 見慣れないその風貌からその少女は佐藤(女)ではないかと少年は推理し始める 持っている杖のスピーカーからは「竜単子を発見 リサーチャーは速やかに・・・」などと訳のわからない言葉が流れ それに少女は応答するように意味不明の言葉を発する 
つまり マトモな目では「頭が完全に逝ってしまった厨二病少女」であり
医学的に推理すれば妄想型の「統合失調症」に該当するかもしれない
同姓である一方の主人公佐藤(男)も マトモな相手ではないと感じながら関りを持ち始める
翌日から 佐藤(女)はローブを着 杖を携えたまま登校してくる
むろん周囲の生徒たちは驚異の目を見張る
こうして学校生活の日々が始まるわけだが 現段階ではSFの要素も無いし 竜も出てこない(結局最後まで何も出てこない ファンタジー性皆無のアニメ)
ただ 厨二病的少女に興味を抱き味方をする生徒たちと 制服規則違反「キモイ」と言って排斥しようとする生徒集団が徐々に顕在化し イジメにまで発展してゆく・・・

今後どういう展開になっていくのかはわからない

ただ何となく「涼宮ハルヒの憂鬱」に雰囲気が似ていなくもないので 涼宮ハルヒファンには一見の価値があるかもしれない

・・・と第3話まで観ただけで何故か書きたくなった それは表題にした通り

なぜイジメが起きるのか なぜ「厨二病」などど定義づけて蔑視するのか 自己と意匠の異なる他者をどうしてここまで排斥しようとするのか・・・不思議に思えたのだ

これを「差別」というのだと分かっている

アメリカの場合は「人種差別」である
中東の場合は「イスラム教内における宗派差別」
アフリカの場合は「部落差別」だったりする
中国 イスラエルその他諸々の国々・地域を想像すると「色々な差別だらけ」というのが人類の一つの様相である
さて 日本の場合は何という差別だろう 私が考えるに「村社会型差別もしくは五人組的差別」
つまり古来の「単一民族意識」を基盤とした差別感がそのまま残っているような気がする 

「差別とイジメ」は人間社会のいたるところ 世界で当たり前のように起きる

私は中学校指導要領「道徳」について批判的な記事を書いたが 総論では理想を高く掲げてはいるものの「村社会的人間関係」や「貧富の格差」「ひきこもる生徒の実情」「若年層の自殺」という日本社会の患部について一言も触れていない それに触れずして「生きる力」も無いもんだ(う。もう教科「道徳」の話はしたくない…)これじゃ机上の空論といわれても仕方がない 教壇という少し高い場所から生徒を見下ろし 理想論や「道と徳」をペラペラ言葉で伝えて一体何になると? 「村社会時代」と何も変わらない イジメを本気で無くしたいなら「なぜイジメが起こるのか」「なぜ人は差別するのか」という患部に直接メスを入れなければならない そして子供自身に考えさせる姿勢が必要となるが 「イジメを行う者ほど 内省しないし 深く追求しない」というパラドクスが当たり前のように存在している

その点に於いては学校教育よりもアニメの方がはるかに役に立つと思った

kei