kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

美辞麗句の羅列 『道徳』

2020年06月12日記事加筆

・・・ってなんだか意味は解るけれど 実際の社会状況とかけ離れているという点で「倫理・社会」のプラトンだのデカルトだのキルケゴールだの あんな哲学やら思想に似ている気がする。
学校教育には「学習指導要領」というのがあるらしく、それに則って学校で教育が行われる仕組みになっているようだが、平成29年度に改定された「中学校 道徳」を抜粋すると以下のようになる。

我が国の教育は,教育基本法第1条に示されているとおり「人格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われ」るものである。人格の完成及び国民の育成の基盤となるものが道徳性であり,その道徳性を育てることが学校教育における道徳教育の使命である。平成 25 年 12 月の「道徳教育の充実に関する懇談会」報告では,道徳教育について「自立した一人の人間として人生を他者とともにより良く生きる人格を形成することを目指すもの」と述べられている。道徳教育においては,人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を前提に,人が互いに尊重し協働して社会を形づくっていく上で共通に求められるルールやマナーを学び,規範意識などを育むとともに,人としてよりよく生きる上で大切なものとは何か,自分はどのように生きるべきかなどについて,時には悩み,葛藤しつつ,考えを深め,自らの生き方を育んでいくことが求められる。さらに,今後グローバル化が進展する中で,様々な文化や価値観を背景とする人々と相互に尊重し合いながら生きることや,科学技術の発展や社会・経済の変化の中で,人間の幸福と社会の発展の調和的な実現を図ることが一層重要な課題となる。こうした課題に対応していくためには,社会を構成する主体である一人一人が,高い倫理観をもち,人としての生き方や社会の在り方について,時に対立がある場合を含めて,多様な価値観の存在を認識しつつ,自ら感じ,考え,他者と対話し協働しながら,よりよい方向を目指す資質・能力を備えることがこれまで以上に重要であり,こうした資質・能力の育成に向け,道徳教育は,大きな役割を果たす必要がある。このように,道徳教育は,人が一生を通じて追求すべき人格形成の根幹に関わるものであり,同時に,民主的な国家・社会の持続的発展を根底で支えるものでもある。また,道徳教育を通じて育成される道徳性,とりわけ,内省しつつ物事の本質を考える力や何事にも主体性をもって誠実に向き合う意志や態度,豊かな情操などは,「豊かな心」だけでなく,「確かな学力」や「健やかな体」の基盤ともなり,「生きる力」を育むために極めて重要なものである。我が国の学校教育において道徳教育は,道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うものとされてきた。これまで,学校や生徒の実態などに基づき道徳教育の重点目標を設定し充実した指導を重ね,確固たる成果を上げている。(まだ、ダラダラ続く)

はぁ。そうでっか・・・でもそれではなぜ、イジメや差別、自殺とか無くならないのだろう。と不思議に感じてしまう。まあ「憲法の掲げる理想みたいなもの」と思えばこんな美辞麗句になるんだろうが、その分だけ「実効性」という点で首をかしげてしまう。

先生たちに尋ねてみたいものだ。
この理想から外れてしまった子らに対して、こんな言葉を並べても何の役にも立ちはしないと思うが、そん時はどうすんの?と。

内容が理想的で抽象的過ぎて「絵にかいた餅」じゃねえの?コレ。と思ってしまうし、
所詮 優等生のためのもんだろ?と感じてしまう。
そんなことより、イジメに遭いPTSDに罹った子、リストカットが止められない子、親から虐げられたり、ネグレクトを受けている子、貧困の中にある子とか…ホントに生かせるものでないと「道徳」とは呼べない気がする。
これもまた、マジョリティ・マイノリティの話題や「宗教的観点」等に繋がっていくのかもしれないが これらに対し学びとなるような道徳なんて よっぽどの人格と能力を持っているセンセじゃないと無理だとおもうんだが・・・できんのかね?ホントに

なんか文科省ってところは こんなお題目ばっか謳ってる省庁じゃないのかな。トホホ…

ま。どこの省庁も 何処の大企業も似たようなもんか…


kei