kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「人間という動物」に好かれるにはどうしたらいいか

来月 我が子が講師をしている女子大学で「特別支援教育」について話をすることになった 未だ大学の名前も聞いていない

長年の教師生活の実際の話を聞く目的で20以上の質問が学生さん達から届いている

質問は真摯で実際的なモノが多かった そりゃそうだ「教えることで給与を得る」ためには 色々知らなければいけないし 出来なきゃいけないだろうから

「生活の糧を得るため 生活するため」のみならず そのためには「役に立つ」ことが要求されるのは 民間だろうと地方公務員だろうと同じだろう…

ただなぁ… その意識が顔に出て「逆に裏目に出る」ということが 公教育全体の教師に言えることのような気がする

教える気満々の先生⇒子供の学びの姿勢や状況を見ていない先生 とも言え 昔の学校青春ドラマを地で行ったって あんましうまくいかないかもしれない

 

なので 障害を有する児童生徒を含め 小中高校生 大学生 社会人 高齢の人 そして自分。ともかくみんなひっくるめて 先ず「みんな動物」として考えてみることにした

【問】 猫に好かれる方法は…あんまり構わない 自由にさせる 好きな食べ物をあげる

しかし これが犬に好かれる方法となると変わってくる 馬に好かれる方法も 牛に好かれる方法も違うのかも知れない ならば「人間に好かれる方法」というのも千差万別かもしれないし 動物として共通点があるかも知れない 

経験から言えば 慣れて行けば行くほど色んな生徒と仲良くなれた そしてそのように「心のパイプ」がつながっていないと 何を教えても 特異な行動を変えようとしても上手くいないことが多かった。

自分は本当は「人間を好きなのかどうかよくわからない」が 仕事をするにあたっては「好きである状態」にスイッチを切り替えた 人間…よくわからない動物であり 知的障害を有してもいなくても いろんな考えの人がいて 信じているものも 嫌ったり憎んでいるものも異なる だから全ての人から愛されるというのは おそらくあり得ない

けれど どのような対象の人であれ 「人という動物」であることは念頭に置いた方が比較的うまくいきそうな気がする「人≠動物」という考えを持つ人もいるだろうが 私にとっては 限りなく=に近いものだと思っている

 

kei