kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「鬼子母神」

 2017年07月07日の記事に加筆

正しくは「きしぼじん」ではなく 「きしもじ(し)ん」 である。

人類全てが生まれ 作家開高健の絶筆となった「珠玉」では還る場所でもある 「女」

とはいえ「女」には ちとヤバイところがある。

 

典型的な例が  「鬼子母神

wikiから 適当に かっぱらうと 以下のようになる。


鬼子母神毘沙門天の部下 武将八大夜叉大将(バーンチカ)の妻。

500人だか、1000人だか、10000人だか子を産んだ。

その子らを育てるために栄養は重要。そのために人間の子をとらえて食っていたので 
人間からは怖れられた。 (あの・・・コレって神様なの・・・?どう見たって魔物では?)

それをみかねた釈迦は 彼女が最も愛した末子 ビンガラを隠す。

彼女は半狂乱となり 世界中を7日間探し回るが 見つけることができず 釈迦にすがる。

その時釈迦は 「多くの子を持ちながら一人の子を失っただけで おまえはそれほどに嘆き悲しんでいる。 ただ一人の子を失う親の悲しみはいかほどであろうか。」 と説いた。

その後 鬼子母神は 人を食うのをやめ、施食によって飢えを満たすことを教え、
子供と安産の守り神となった。』   ・・・そうだ。

 

母親にとっては「我が子だけが特別」という思いは 当たり前と言えるほどなのかも知れない それを母性本能と呼ぶのか どう呼ぶのか私にはわからないが…

ただ それくらいの情と手間暇をかけてしまうから 子は育つという気もする

なので「母神」と「鬼子母」は気持ちを入れ替えたとは言っても「同質」ではなかろうか…

でなけれ仏法を守る阿修羅等十八部衆や 明王も「仏の一派」として考えるなら「憤怒」「戦闘」も仏の仲間 もしくは一側面としてとらえても良い気がする

「仏」と「鬼」「天国と「地獄」は言葉ほどに遠い距離ではない そんな気がする

 

それは 人間関係 国際関係すべての「人間」に内在する性質であるように思え

今後20年の間は未だ「協調と平和」ではなく「力と戦い」の時代かもしれず それが数千年経っても変わっていないという理由で「仏と鬼が混在」したままなのだろうか…

 

「我が子を産み育てる栄養として他者の子を捕らえて食う」

 

これは比喩ではない 世界に目を拡げれば 少なからず起きていることだと思う

 

kei