kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「死刑囚たちの絵」

2018年12月19日記事加筆

死刑囚は留置所ではなく拘置所に移され 3畳の部屋で生活している

生活は基本的には自由で 週に何度か日の当たる場所に出られるなど規制はあるものの

本やマンガを読むのも 絵をかくのも 結婚するのも自由らしい(面会できる者は限定されているので そりゃなかなか難しいだろうが・・・)

裁判において 判決を覆す「新証拠」が見つからない限り 概ね5年余で刑は執行されるようだが 法務大臣の考えなども影響するので 10年 15年と生きている場合もある

しかし「死刑が確定している状態で生きている」というのは 「余命を宣告された人」とはどこか違うようで 精神的に不安定になり マトモではいられなくなる者も少なくない もちろんそうでない者もいて 自らの罪と対峙し仏門に入って 被害者家族に心から詫び 比較的冷静に刑を受ける者もいる

こんな一日を送る

軽作業を自主的に行い金を稼ぎ 売店で好きなものを購入することもできるようだ

 

ところで心理学の分野で「描画心理学」というのがあり 長年絵を描き見続け それに関係する本を読んだりしていると 知らない人が見たらサッパリわからないが 特別支援学校のある生徒の絵から「強いフラストレーション」が見て取れたりして 「この子は未来 混乱・爆発し他者に手を出してしまうかも」という話をしたこともあったし 高校生たちの絵はもっと分かり易い 「上手い下手」を見るより「心理」を見ることの方が多いかもしれない

…ということで「描画心理学」的側面から3名の死刑囚の絵を見てみる

まず1枚目 林眞須美「国家と殺人」 カレー殺人事件による死刑判決 自分が犯した行為は完全に忘れ「自分が死刑」になることだけ考えているように見え それに対し強い怨念が感じられる
中心の赤い湾曲は それに対し「身もだえしている自分」だろうかと推察される

 

2枚目 オウム真理教  北村孝紘「神のなげきと救いの糸」

この絵は非常にシンプル「死にたくない」一心の絵で 幻想か「蜘蛛の糸」が降りてくるのを願っているわけだが 多色を用いて描かれた目の表情を見ていると 「諦観」のようものは感じられず ナルシズムを交え 死にたくないと睨んでいる 

絵画としては2人共「情念」がこもっているという点で そこら辺の絵よりは「強い絵」であると思うが 「被害者の事を全く感じたり・考えていない」という点で共通しており 強い自己中心性が先ず目に飛び込んで来る

それは3人目 やまゆり園大量殺人を行った 植松聖も同様

先ず当人「自分は絵が上手い」と思い込んでおり 一見丁寧に描かれた線一本一本に自信が見て取れるが 左右対称的で 線が固く 仏画としては褒められる代物ではない そしてこの絵に見られる異常性は2対の仏の「目」が最も顕著で「見た目仏の様に描いて 仏に絶望しているか 仏を冒涜している」と察せられ 当人の倫理観がマトモではないことがわかる

 

私も絵を描く 今は一時停止の状態だが また描く その時 良い絵かどうかという事に合わせて 自分の心理を読み取ろうとする 

世界2か所で起こっている「戦争」が引っかかるのか…人間そのものを未だ知らないのか 引っかかりながら 描いたり 止まったりを繰り返している

kei