kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「最期に口にしたいものは」

以前の記事で「普通」はよくわからないし「普遍」がいいと書いた。

でも「普遍」という言葉もハッキリしない 茫漠とした言葉だと思う

それと 私は「死」について記述する頻度が高いかもしれない

メメントモリ」と言いたいわけでもない ただ 生命が生まれたらその終点にそれがあり 悟ろうが悟るまいが 幸福であろうがあるまいが 望んでいようが泣き叫ぼうが

ただ1度だけ訪れる特別な事象として捉えているに過ぎない

立花隆がとある高校の講演で「自殺はタブーじゃない。でも、そのあとは何もない」

と 主催者の度肝を抜く発言をいきなり述べた

私もそう思う だから自殺を真っ向から否定する宗教や思想とは異なる

 

そして本題なんだけれど

「もし私が死刑囚となり執行されるまで なんでも食べていいと言われたら」

私は「一杯の水を下さい」と答えると思う

理由はハッキリわからない マラソン大会の最中 中盤はコーラが飲みたいと思ったが ゴール寸前は水・水・水だけ飲みたいと思った

それと藤原新也の受け売りだが 人が死に瀕する前 殆どと言っていい程水を欲しがる

飲み下すまでたどり着けなくても 一滴二滴口の中を潤すか 唇の渇きを癒すことだろう

 

なぜ人は最期 「水」を欲するのだろう    

 

そこに老若男女 身分財産は関係はない

 

理由も私にはわからない

 

これは「普通」なのではなく 「普遍」なのではないかと思ったりする

 

具象でなくても 描いてみたい…

 

kei