以前の記事で「普通」はよくわからないし「普遍」がいいと書いた。
でも「普遍」という言葉もハッキリしない 茫漠とした言葉だと思う
それと 私は「死」について記述する頻度が高いかもしれない
「メメントモリ」と言いたいわけでもない ただ 生命が生まれたらその終点にそれがあり 悟ろうが悟るまいが 幸福であろうがあるまいが 望んでいようが泣き叫ぼうが
ただ1度だけ訪れる特別な事象として捉えているに過ぎない
立花隆がとある高校の講演で「自殺はタブーじゃない。でも、そのあとは何もない」
と 主催者の度肝を抜く発言をいきなり述べた
私もそう思う だから自殺を真っ向から否定する宗教や思想とは異なる
そして本題なんだけれど
「もし私が死刑囚となり執行されるまで なんでも食べていいと言われたら」
私は「一杯の水を下さい」と答えると思う
理由はハッキリわからない マラソン大会の最中 中盤はコーラが飲みたいと思ったが ゴール寸前は水・水・水だけ飲みたいと思った
それと藤原新也の受け売りだが 人が死に瀕する前 殆どと言っていい程水を欲しがる
飲み下すまでたどり着けなくても 一滴二滴口の中を潤すか 唇の渇きを癒すことだろう
なぜ人は最期 「水」を欲するのだろう
そこに老若男女 身分財産は関係はない
理由も私にはわからない
これは「普通」なのではなく 「普遍」なのではないかと思ったりする
具象でなくても 描いてみたい…
kei