kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「言葉の抽象性」

作者はジャクソン・ポロック(1912年1月28日 – 1956年8月11日)

20世紀のアメリカを代表する「抽象表現主義」の画家である。アクション・ペインティングという表現を打ち出し、それまで「具象絵画」が中心だった美術界に大きな影響を与え、ニューヨークを芸術の中心になるきっかけを作る。

 

「抽象表現」に対し 正反対の表現もまた受容されるのが現代美術の中心地 アメリカニューヨーク

リチャード・エステス(1932年5月14日~)という作家がいる

日本の街の風景を描き

スペイン サグラダファミリアをこのように描いた「ハイパーリアリスム」の代表的画家といえるだろう ただしカメラではこのようには記録されない 

一眼のカメラはピントの中心以外はボヤケるが エステスの絵は「バカチョンカメラ」のようにどこもかしこもピントが合っている それが特徴で おそらくはプロジェクター等機器を利用し描いているのだろう

 

さて…ご覧になった方々は「抽象」「具象」どちらがお好みだろう

 

絵画ではこのようにハッキリ表現が別れているが その根を辿れば実は2つの言葉で別けられるほど明瞭なモノじゃないと私は考えている

ポロックの絵の中に「具象」が潜み エステスの絵の中に「抽象」が混ざり込んでいる…と思われる

 

以前「言語」は「伝達」を目的として生まれた。と書いたが 本来はそうだと思うが 今は自分のこの考えに疑問を持っている

伝達とは「1なのか2なのか、右なのか左なのか伝えるため」ということになるが 3万年か2万年以前かわからないが 「伝達が難しい 感情や概念」が言葉の中に組み込まれるようになった

 

自閉症スペクトラム障害を有している人の特徴として「名詞はたくさん理解できるが 動詞の理解が難しい」というのがある

子どもの知的発達としては自閉症スペクトラム障害を有していない場合は「動詞」を中心として学び成長していく なぜなら「行く」と「来る」の違いは伝達する上で最重要であり 動詞中心に物事を理解し記憶する必要があるからなのだが 動詞=即ち動作は 一枚の画像として理解しにくいという点で 物や人といった名詞よりも 自閉症スペクトラム障害の人には難問となる そして「感情」となると さらに抽象性が高まることになることになるので 人によって受け取り方が異なる「とても抽象性の高い言葉」となる

中国 アメリカ 日本の大学生たちが討論をしている番組を観た

コロナパンデミックへの各国の対応に関し「民主主義」「個人主義」という言葉が頻繁に出てくる だが纏まることは無い なぜなら「民主主義」とか「個人主義」の捉え方 つまりベーシックの部分で国によって 個人によって違いがあるからだと思う

何時の頃からか人類は 我が子を失って涙を流す母親を見て 「悲しみ」という言葉を生み出した その言葉は異なる発音で世界に広がったものの 人の心はそのように「デジタル」にはできていない 「愛と憎しみ」がくっついている時があり 「満足と空虚」が一緒の時もある このようなアンビバレンツな抽象的な心を人はまだ言葉として生み出せてはいない その理由は「このような両義的な意味を持つもの」が伝達という宿命を背負っている「言語」として役に立たないからかもしれない …だが 人間はコンピューターじゃない

ともかくも「通じ合うために生み出された言葉が 逆に誤解を生じる元」になっているのが現代で 果たして「話し合い」によって世界は収斂するものなのかどうか 首を傾げたりしている…

 

すんません 今回の記事は「呟き」ですね。

 

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