kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「落日を見に」

32年ほど前 私はバングラデシュ首都ダッカに住んでいた

これといった観光名所があるわけではなく 来国する外国人は支援関係の人が多かった ただ夕方になると不思議と現地の人々が集まる場所があり 私も数度行ったと思う

ションショット・ボボン 日本語では国会議事堂 外国人設計の近代建築

夕方になると人がゾロゾロ あちこちに現れ始め 何をしているかと言えば

「落ちる夕日を見てるだけ」

本当に ボンヤリそれを眺めているだけで 声もあまり聞こえない

 

夕刻公園に散歩に出た

夕日を見に 帰りには画面中心に一番星が見えた

私は風景画も描ける 小学生の頃から樹木を描かせれば 大人のように描いた

でも こんな風景を見ていると「ただ切り取ってるだけ」という気がして

本物に肉薄できる風景画など 私には描けるわけがないと今は思う

 

なぜバングラデシュの人々は夕日をボンヤリ見ていたのだろう

 

私はそんなことを考えながら沖縄の夕日を見ていた

 

理由は人それぞれだろうし わかるわけもないが

落日を見て「自分は地球の上 ここにいる」と無意識に近い欲求で 

感じ取りたかったのじゃないかと思う

ただ このような粗末な言葉では言い表せないような”感覚”が 

眺めているその人に どのような影響を与えるのかは知らないけれど

 

kei