kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「あの世」

キャンバスばかり張り直したり リビングにごっそり置かれている絵の整理で疲れた

別な事でごまかすことにしよう。

 

「宗教」については5年続いている「蜘蛛の糸kei&tomo」で結構書いた

それに対し やっぱり意味がよく分からない批判的コメントを頂いたりしたので

もうあまりぶり返したくないというのが本音

 

というか私の中では一つの結論が出ている 

それは「死後の世界=あの世を信じるか」

 

Yesと答えた人は〇〇教の信奉者 と名乗る以前に宗教的な考えの人で

Noと明瞭に答える人もまた 「科学・テクノロジー信奉者」かもしれない

わたしは「どうでもいい」という答え

今は無いだろうと思いながら 肝っ玉が小さいので 死の寸前には あってほしいと思うかも知れない けれどそれは信仰とは言えないだろうなぁ

紀元前2500年ごろから 死後の世界の信仰は何処の国 どこの地域にもあった

ツタンカーメン王の墳墓からは日用品から 夥しい数の下着まで出てきたところをみると 本気も本気 マジで信じていたことが分かる

それは当然なことで 唯一の人類として残った2万数千年前のクロマニヨン人は「自分もいずれ死ぬ」ことに気づいてしまった人々なので ディレンマに陥った そのため必然的に「あの世もあるから安心しろ」という発想が生まれる

そのとき同時に人類は「あそび」を覚える それが音楽であり絵画だった

この躍動感 生きの良さ 存在感 ラスコーの壁画は呪詛のためだけじゃない 描くことを楽しんでいる 現代絵画と言われても全く遜色ないほどだ

これらを描いた人々がどんな人々だったか 心の中まで察する術はない

ただ 正しく今 戦争・内紛で殺し合いをしている国々がある

自殺が死亡原因の高位になっている国もある

そのようなことをする動機の重要な一つが「あの世があるから」というのは

いかがなものかと思う…

行って帰ってきた事例がない場所

ゴーダマ・シッダールタのいうところ「空」

それにむかって何を言えばいいのやら。

 

kei