kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「不変」は存在するか?

突然頭にポカンと浮かんだ命題である。

一応調べてみたところ「2点」存在することが解る

①「不変」(unchangeable)もしくは「不変性」(invariance)という言語そのもの及び概念

②「数学」における関数とその結果 1+1=2でもいいのかも…この前提がないと 機械的数学は存在できない

それ以外は あとは宗教・哲学的世界という 個人差を伴ったモノとなり どちらの世界でも「不変」に対して否定的見解の方が多い

ソクラテスは「万物は流転する」と言い

仏陀は「諸行無常」と言った 他にも例は山ほどある

 

ゴールデンウイークの翌日 欠席する小中学生は「約30万人」 実数は調査不十分のため倍くらいはいそうだ この欠席者は年々増加傾向にあり 増加率としては著しい  この統計に対し Why? と投げかけるのは有効か…様々なケースや考えがあるため 100個挙げても足りないだろうと思う 

ただし明白なのは「『明日』という未来『学校という場所に行きたくない・行けない』」ということ。

なので「今」を起点として「明日」という不確定事象が起こることに消極的になっている。という 人の心の動きであることがわかる

 

私も月曜日はよくサボったのでよくわかる Blue Mondayだった

けれど 今再考してみると「思い込み」の度合いが強かったのではなかったかと思う

その一つが「月から金まで」というルーティン的固定観念やら イヤな曜日や催しがあるという「思い込み」があった ならば「曜日や何月何日 365日」とか忘れてしまえばいいのかもしれない

 

そうはいかない。と

子供は答えるだろう そんな風に型にはめてしまったのは大人のせいだ。

 

ソクラテス仏陀の言う「流転や無常」は曜日も年も関係がない …というより 川の流れそのものであり 自然の川が流れ続けると蛇行し始め「三角州」を自然に作る という変化が「当り前」のことであることがわかる

ブラックな職場は苦しかろう 体調が優れないのも困りものだろうし 老いて動けなくなることも面映ゆいことだが 「不変」というものが現実世界に無い以上 誰に八つ当たりしても詮無い事なのだと思う

「記憶」が流転と無常をせき止め 固定してしまう

これが「学習」といえばそうなのだろうが…現実に変わらぬモノなど何一つない 

「トラウマ」とか「PTSD」などと 言葉や概念を作るのは容易だし それによって「動けなくなってしまう」ことは当然あるのは知っている

ただし 概念と数学の世界以外 「不変」は存在しない

なので 執着しても実りが多いとは あんまり思えない

kei