kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「不知の自覚」

表題は聞きなれない言葉ですが「無知の知」を言い換えた言葉です 言ったのはソクラテス

なぜ素直に「無知の知」と書かなかったかと言えば この有名な言葉には 誤解・曲解が付きまといやすいと思われるからです

無知の知については 以下のような解釈もあるとのこと

①自分が無知であることを自覚していることは、自分には知恵があると自認している人よりもわずかに優れていると考えている。
②知らないことを知っていると考えるより、知らないことは知らないと考えられるほうが優れていると考えている。

しかしソクラテスは「無知」に関して「優れている」という判定はしていないように思われ それは些事であろうと感じます

しかし「不知の自覚」と理解すれば 優劣は存在せず「完全なる無知」という非現実的な人もいなくなると思われ むしろこちらの方がソクラテスにとって いえ 人間世界において納得のいく言葉だと思います

これも昨日書いた記事に関連しており 補足と言っていいかもしれません

「私にはわからないことだらけだが 明日のことがわからないことだけは知っている」

なので 私にとっては「未来は分からない」という知だけはあるようです

 

未来に思いを込める者 願う者 怖れる者 人間にとって未来への思いは尽きることはありません ですが どうなるかは誰にもわかりません

なので 無知の知 よりも 「不知の知」だけは信じられる気がします

 

本来わからないはずの未来が 「見えた」と感じた時 そう思い込んだ時

そしてそれを信じた時 その人はいくぶんかの狂気に飲み込まれている気がし

描く時 その狂気に飲まれることがたまにあり 実感もできます なので

「狂気」というものが ただ社会や世界に仇なすものでもないことも知っています

スティーブ・ジョブズiphoneの完成体を突然思いついたように 狂気を用いて見ることもあるのかも知れません

ただ 未来はわからないから未来なのだと思う方が マトモだと思います

 

kei