kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

年始に向けて「未来・希望ハラスメント」

ザッと読んだだけなので かいつまんでしかここでは書けないが

30歳 独身 女性 現在は無職か非正規労働をしているのかは忘れた
唯一の楽しみは 自分「推し」の曲を聴いたり それをカラオケで歌う事
一番つらいのは 「将来の希望はなんですか?」と聞かれること

その人が語るところでは 将来、未来について尋ねられることは非常に苦痛であり 加えて「希望」と限定されて聞かれることに 逆に絶望感を感じるほどイヤになるのだそうだ

じゃあ・・・これもハラスメントだな と思った

「未来ハラスメント」と「希望ハラスメント」

このハラスメントの発生原因は『「未来」とか「希望」が全ての人にあって当たり前』という思い込みである 

私もそう思ってしまい 希望について尋ねたことがあっただろう そうして相手の心を傷つけた・・・

え?これはハラスメントじゃない と?     いいや 立派なハラスメントである

その第一は 誰にとっても生に関して重要な事柄を 言葉という簡単な道具を用いて切り開き 中を覗こうとしている
その第二は 答えを聞いたところで 何の助けにもなれるわけでもなく その能力もない
特に「言葉」「概念」「社会通念」という簡便な手法を用いて相手を規定し 勝手な見方で相手を理解したという自己満足自体が「悪質」だ
教育機関」と呼ばれる現場では この手のハラスメントが無自覚に山ほど横行しており それを「教育」だと誤解しているバカがたくさんいるので 不登校この言葉自体終わってるが)は増えこそすれ 減ることがない パワハラ セクハラだけでなく悪質なハラスメントはいくらでもある 

名前のない怪物」は何処にだっている


実際 今はあまり会えなくなった 朝公園のトイレで背中向けに出会う 黒いジャンパーを着たホームレスと思われる男性に 私は未来や希望について尋ねようとは思わない いや できない

ではどうすればいいか と思案してみる
「無関係でいる」これは最も簡単なことだが 親兄弟親類友人知人となるとそうはいかない
「言葉でないもの=為すしかない」のだろうと思う 多分それしか意味をなさない
「傾聴する」? なるほど それで「オープンダイアローグ療法」を用いると・・・けれどそれは『相手が「苦」の中に居る』という「断定」が前提条件。 相手が「苦」じゃない 「苦」とはなにかわからない と答えたらこの療法も役立たずとなる 
役に立つ立たないは別として 手順としては向こうからの申し出を待つしかないわけだ

だからなのか たまに私は心の中で唱える

 

羯帝羯帝波羅羯帝       (往き往きて 彼岸に往き)

波羅僧羯帝            (完全に彼岸に到達した者こそ)

菩提                   (悟りそのものである)

僧莎訶                 (めでたし)

 

誰しも彼岸に向かって歩んでいる それに「楽」も「苦」もない

年始の希望をひとに尋ねるべからず。


www.youtube.com

kei