kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「明日のことは考えない」

定年退職してからは 仕事の日でも休みでも 翌日のことをあまり考えなくなりました

準備として必要な事や 会ったり赴く場所とかは 「有る」と記憶しますが

どのように…とか 上手くいくように…とか これを言わなければ…など仔細については考えません

 

理由は簡単です 「明日のことはわからない」から 

 

働いていた時には 明日のこと 10日後のこと 1か月後のことの内容や方法など イヤというほど話し合い リハーサルを繰り返していた気がします しかし「リハーサル」=予行演習は 時間の流れの不可逆性上あるはずのないモノだと今は思っています 確かにリハーサルによって鍛え抜かれた軍隊は生存率を高めることでしょう しかし実践を繰り返し生き残った軍隊とは違うような気がします 「リハーサル」と「実際」は目に見えないが ハッキリと分かつ壁がある

 

明日のことがわからない ということは決して不幸でも幸福な事でもありません

歌にだって そんなことばがたくさん残っています

Que Sera, Sera (なるようになる)

Let It Be   (自然のなりゆきにまかせる)

そして一休宗純の長年封印された遺書の言葉 「なるようになる 心配するな」

フランス(歌は英語)でも イギリスでも 日本でも なぜか意味は同じ

それは 明日がわからないからに外なりませんが それを憂いているニュアンスはありません むしろ 最もシンプルな心境に達した時に発せられる言葉のように思えます

ならば「明日は明日の風が吹く」ので

明日 その風の中で考えるのがいいだろう と思います


www.youtube.com

kei