kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「使われることのないボールペン」

前回の「東京漂流」の記事では 「日本は下らない国」と書きました 当然藤原新也の受け売りですが 実感でもあります もちろん「日本は世界の中で特殊な国であり 世界を牽引する力がある」という アメリカの多くの学者の言葉も理解していますが…

 

「仏教とは何か」というページを開いていたら もっとヒドいことが書かれていました

お釈迦様は皆に言ったそうです 「あなた方はみんな、死んでいるのも同然です」

なぜこんな事を言うのか…合点がいかないところですけれど つらつら読んでいる内にわかってきました 人は生きるために道具を発明したり 道具を使う これはベルクソンが「ホモ・ファーベル(工作人)」と人間を名付けたことにも関連しているかもしれません

私は今ノートPCを使って文字をタイプしています 朝はカップを使ってコーヒーを飲みました つまり「生を維持するために いろんなものを使って生きている」ことになりますが お釈迦様はその考え方が根本的に間違っており「生きるために使うのではなくのではなく 自分を使うために生きるのだ」と言っているようです

なので「命は維持するモノではなく 使うモノ」ということでしょう

大谷選手のストイックでハードなトレーニング そして試合での活躍を見ていると 彼は十分に命を使っている気がし尊敬します 戦争で自分を使うのは辛いです

「モノ・カネに囲まれて 豪華な食事 名勝地への旅行することは 飛行機とかクルーザーとか 何かを使ってはいるものの 自分を使っていない という点で『全く使われることのなかった高級ボールペン』と同じ」ということなのだと思います 

これは「下らない」 だから藤原は「下らない国」と言ったのだと思います

ボールペンは手に持ち 何かをかくからこそ存在理由があるわけですから…

家族を養うために働く人々は なにかを成そうと生きる人は「自分を使っている」という点で大谷選手と同様です 

 

私は夕刻 星や月を見ながら 歩いたり走ったりしています

その時ボンヤリ考えているのは「自分の使用法」で 今後どう使おうか…絵を描くことを中心に考えているようです

何故「考えているようだ」と感じるのは もしかしたら「自分という存在がリース品かも知れない」と どこか思っているからかも知れません

私は私の持ち主ではないような気がするのです

きっと 世界から借りたモノ その借用期間は生きている間 ということになるでしょうか…

このボールペン45000円也

 

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