kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「歪んだ鏡の迷路」

女性は概して鏡を見る機会が多いのだろうか…  自己の客観のため?

よく鏡を見る人と ほとんど見ない人では「生き方が違う」気がする

 

表題は 絵を描く上でのアイディア もしくは想像の一つ といった程度で さほど重要ではなのだけれども

鏡の迷路に入り込んだ自分を想像する

一見まっ平な鏡に見えるが 99%の鏡は殆ど湾曲して歪んでいる そのため正しく鏡映することは無い ただし1枚だけ完全を映し出す鏡があるのだが 歪んだ鏡を見続けたせいで 正しい鏡がどれなのかわからなくなってしまう そんな迷路の中を歩き続ける人生があったとしたら? というエピソード

 

容姿に限らず 思想 生き方 宗教 肉親 「鏡」に例えられるものは無数にある

 

実は私は「殆ど鏡を見ない派」だと思う しかしやっぱり 外出する日の朝は短時間でも見ざるを得ない

 

こうすることが当たり前か?と自問すれば ただの習慣かもしれないし 他者と交流を持つということは「装う≒仮面をかぶる」必要があるのかも知れない

…と考えると なんか奇妙な世界を生きている気がしなくもない

「どうでもいいことじゃね?」 …でも 鏡を見たりする

 

ただし「生」は 歪んでいようが正しかろうが「鏡の迷路」を歩きながら見続けることじゃない と私は思う

何で作られた迷路であっても 問われるのは「そこで何をし いかに彷徨うか」かなぁ…

kei