kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「土」 ‐切り花と鉢植えの花‐

1月末個展をした時 見に来てくれた知人から いくつか「花」を貰った

私なんぞ花とは無縁な性格なのに…と思いながら 心遣いに感謝した

中には個展の趣旨に合わせて「白と青の花」で構成された「凝った花束」を持ってきてくださった方もいた

職場の同僚2人は「鉢植えの花」を1つずつ 計2つ持ってきてくれた

鉢植えは重く1鉢7~8kgはあるのじゃないかと思われ ビル6階まで持ってきてくれたその労を含め感謝した

ただ期日を終え搬出の時 頂いた花をどうしようかと思った

半ば枯れかけており 同居人と2人だけで片づけなければならないこともあるし 絵を車に時間内に載せきらなければならない なので捨てる場所を係の方に聞いて捨てざるを得なかった 2つの鉢植えの花も下を向いていたがズッシリ土が入っているので捨てるわけにもいかず 持ち帰ることにした

 

植物に水を与える習慣など持っていない私は 2つの鉢植えを忘れ去っていたが 同居人が「まだ元気に咲いている」と教えてくれた

 

1か月を過ぎても2つの鉢植えの花は生きていた 当たり前の事なのに驚いた

 

正直 持ち帰るのも手間だったが そう感じる自分がいかに愚かなのか わかった気がした

「土」とは凄いもの というか「自然」が凄いのか…

花束の方が見栄えがいい けれど枯れてしまう

鉢植えは重い けれど枯れない

もし こんなことを見越して知人が持ってきてくれたのだったら そのことについても礼を言うべきだった けれど後の祭

 

非常識な私は同居人に「病院へ見舞いとして切り花を持っていくのはどうしたものか…すぐ枯れるというのがマズい だったら鉢植えの方がいいのでは…」と呟いたら 「それはご法度」という返事が返ってきた 理由は「根付く」という縁起になってしまうからだとか…

それを聞いてどちらにせよ 見舞いに花は持っていくまい と思った

 

今もボンヤリと2つの鉢植えの花を眺める時がある 生きており咲いている

切り花も鉢植えも同じ花には違いないが 全く違うと感じる

 

「私は切り花か…鉢植えか?」と自分に尋ねてみる

 

社会は働き手として「即戦力」を要するという 即戦力とはどちらの花の事だろう…

見た目の美しさとは何だろう…

 

「土」というものの底深さを 今更ながらに感じつつ 自分はバカだと思った

 

kei

本物はもっと広口で大きい