詩人で画家である「吉増剛造」のパネルディスカッション参加し、直接話もした。
終了後私は、自分の絵を差し出し ド厚かましくもサインをねだった。
氏はこのように書いてくれた。
「お声の、色も類なきものでしたよ・・・・・・」
私の話と絵を気に入ったくれた という事だろうと思う。
この絵の裏には「吉増剛造」のサインがある
シュルリアリズムの日本の開拓者というべき この詩人から 吉増剛造という詩人を知った。絵もスゴイので驚いた。
だが、今は瀧口修造の方 彼の詩を載せてみたいと思う
実験室における太陽氏への公開状 Ⅰ <文学>1930・11、第2号、第一書房刊
一つの花葵は聖母受胎であった。
一つの花葵は北極探検であった。
このように空虚のなかの精は夢のガラスのなかで転々とする(きみと僕との間にいかなる関係があるのか?)
これほど滑稽な問題があるだろうか?
永遠の髭が生えた水硝子のような太陽氏よ、天使よりも愛らしい太陽氏よ、ルイ・アラゴンではないが、君の波長とぼくの波長とを計算する科学者は誰だ。
ぼくの脳髄は宏壮なスケート場のように青くひらめいている。
これは「花葵なの?」と聞くのは不思議である。
ぼくが夢みるとき一層不思議である。
虚無のなかに何があるか?
何ものも無い。
ただ、太陽氏よ、君の絢爛たる肉體のほかには。
むしろ君は無数の典型の創始者である。
典型よ、消失せよあるいは誕生せよ。
君は典型の花束に埋もれている。
君は典型のみである。
雷鳴よ、君は典型である!
無風景の世界に、君は君の澄明な胸の海の中に青い夢を見る。
君はその青い潮を如何にして天にあげようかと考えているのか?
ぼくが君を夢見るとき君もぼくを夢見る。
これは相似形體では説明がつかなかった。
なぜならこれら二つの夢は衝突したから。
それは二つの鳩にくらべることが出来るだろうか?
実は全く新しい一つの感情の生誕であった。
空の黒子が静かに全能の記憶をたどって太陽氏の美しい上気した頬に宿る。
水準器の中の天女は逆さまになって化粧している。
太陽氏の悲劇は不可能であった。
君は羽を慄わしたまま蚊のように荘厳になる。
君は俳優では無い。
再認者である。
君は誤謬のない光線のTHE PURE COMEDY に愛人の絹帽子となって転げ落ちる。
それは君の一つの出現に過ぎない。
君は謎ではなかった。
愛人のひらひらする白い眩しいスカートと打ち寄せる黒い波とのあいだのメタフィジシャンのように見える。
軽率な思想者よ。
これは無意味ではない。
意味ではない。
永遠に終結しないものは一體何かと怪しむだろう。
氷のシネマに氷の観客、ぼくは君の温度のために凍死せんばかりになる時ぼくも氷になろうと決断する。
そして僕に青春が訪れた時初めて融解して幽??の岩間を血液のように循環するだろうと占断する。
(以下略)
恐らくはオートマティズム(自動記述)によって生み出された詩で シュールである
今ならAIが自由記述で生み出したらこんな詩が生まれるかもしれぬ。
kei