kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「霧の城」

ある国の北の山脈の暗く深い場所に湖があった

そこは人が住むのはおろか 方角に強い者が入っても迷い怖れる深い森で

深緑の中に熊やら鹿やらウサギやら大小様々な動物が暮らし

それを追いかけて猟師がたまに足を踏み入れるくらいだが

湖といえばいつも霧が立ち込め

水は凍るような冷たさ

大きな魚は一匹もいなかったので

誰も漕ぎ出して釣りなどしようと考える者はいなかった

だから湖岸には小舟一艘見当たらなかった

 

けれども不思議なことに

ちょうど湖の中心の小島に誰が建てたのか

教会か砦か 小さな城のような石造りの建物があった

もちろんいつ誰が建てたのかはわからないし

ごく稀に霧が完全に晴れる夕方の

ほんの短い間にしかそれを見ることができなかったから

その建物が本当にあるのかどうかさえ

猟師の酒席で話題になった

 

しかし

森で迷い

3日間遭難して後

偶々生きて助け出された熊撃ちの猟師が

夜、湖の中心に明かりが灯っていたと語り始めた

 

こんなことから

まず教会の神父が若者を募り

森の樹を切り倒していかだを作って

真新しい大きな十字架を積み込んで

朝霧の中を漕ぎ出した

けれど方角もわからぬままに木の葉のように漂うばかりで

小島を見つけることはできなかった

 

つぎにその地方の領主が

用意周到に船大工を森に寝泊りさせて

船室を備えた立派な船を作り上げ

土地の権利についてぎっしり書き込まれた羊皮紙を握り締め

食料を山ほど積み込んで

真昼の霧の中を漕ぎ出した

けれども船はどこかで座礁したのかそれっきり戻らなかった

 

こんどはとうとう国王が

そのうわさを聞きつけて

5艘の船をしつらえて

マストに国旗をたなびかせ

楽団まで引き連れて

夕霧の中を漕ぎ出した

7晩8日が経ってから

王は疲れ果てた顔で湖岸に戻って来た

そうして言った

「小島も城もここにはない。以後これよりこのうわさを口にしたものは厳しく罰するからそのように民に伝えよ。」

 

100年余の後

偶然に小島の城は発見される

大きな地震によって湖底が割れ

大方の水が流れ出したのだ

 

ある一人の旅の男がその湖にたどりついたときには

霧は消え、湖底は干からびて

小島に向かう真っ直ぐな道が現れていた

男は道をたどって城に着き

そうして中に入ると

皮装丁の古びた本と石の寝台に白骨が横たわっていた

 

男が本を開くと年号が記されていた

それは今から500年経過した

白骨はこの男の手記だった

 

「深い森の中をさまよい、死を覚悟したときこの泉をみつけ、水をひとすくい飲んだ。その妙なること!飲めば飲むほど英気がよみがえる。私は霊の力の泉を発見したのだ。そして、なんと泉は涸れるどころか周囲を水浸しにするほど飛沫をあげながら湧き出ているではないか。」

三日後の手記には

「湧き出る水を飲めば空腹は満たされ、ほかには何も口にする必要がないことがわかった」

さらに1年後に記された最後のページには

「泉が大きな池をつくり、歩いて渡れなくなった。しかし、ここで生きていけるのに どうして渡って森を抜け、誰かに会い、知らせる必要があろうか」と記されていた

 

本が置かれたそばの石の壁には400年前の年号

「100年をかけて我が城を作り終える」と彫りこまれていた

 

そして白骨のそばの壁にはか細い文字でこう記されていた

 

「私は今日全てを終える。はじめ私は独り占めしたいという欲求からこの泉のことを誰にも知られてはならないと考えた。しかし不思議なことだ。周囲が水に囲まれて湖となり、船も作れず、泳いで渡れなくなってからは、誰かに会って、ともかくこのことを知らせたいと願うようになった。だから私はただ待った。」

「そうして500年、ここが外の誰一人として、見つけることができない場所だと悟ったとき、私は水を飲むことを止めた。ここに足を踏み入れた人よ。どうか聞いてほしい。私はどうすればよかったのだろう…だがもう遅い。ただ私と同じ過ちを犯さぬことを願う。」

 

これで文字は終わっていた。                          

                                 2005.10.6創作

 

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