kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「川のほとり」筒井康隆

午睡の後ノートPCの隣に届いた本が置いてあった 筒井康隆「川のほとり」が掲載された「新潮」
筒井のこの短編を読むために入手した

薄暮 どうしてなのか気だるく 何となく寂しさが残る あの時間
寝ぼけ眼でページの最初を開くとその作品が載っていた

ライトを点けずに読み始めたため やや読みにくかった けれども最初の2ページはそのまま読んだ


物語の世界も 晴れでなく曇りとも言えない空の下 砂と幅広の三途の川が見える世界だった ちょうど本を開いている今のような 白を基調とした風景

 

たった5ページ 死んだ息子との夢の中での対話の物語

 

51歳で亡くなった息子「真輔」は画家であったこと 結婚し2人の子どもをもうけたこと 「食道がんステージ4」体調の異変を父である康隆に告げること無く 逆に最後に父の家を訪れた時は 父の脚の具合を心配しインターネットで調べ「痛風」だと告げて いつもの表情で去ったこと 父にとって笑顔で俯く表情が印象に残る優しい 愛しい息子であったこと・・・そんな父と息子が三途の川の縁で静かに対話する
物語をそのまま転載するのは作家に失礼だろう ただ 印象に残る下りがあった

 

「お前が死んでしばらくしてからだが、母さんがわしに『真輔、どこにいるのかしらね』と言ったことがあった。あれはずいぶんこたえた。怒ったふりで『何を言っている。どこにもおらん』と言ったら、しばらくめそめそしていたが、『夢の中だ』とでも言ってやればよかったかな…」

普段は気丈で涙を見せない母 そして死後の世界も三途の川も信じていない作家の父

そんな母が涙を流し 作家である父自身が「この世界は在り得ないので夢の中なのだ」と断じながらも息子との対話が途切れ 夢から覚めたくないがために言葉を繋ごうと 夢の中で考え続ける


  死者はどこにいるのだろう


至極短いこの物語は 「夢」 という 

「生と死の境界線を越えた」儚くも限定された世界の物語

しかしこれは 「幻想」ではなく 記憶や光景としてその人の胸に残る

だから 夢もまた”現実と等価の世界なのかもしれない” と思った


いつだったか「上智大学大学院哲学科」の問題で

「現実が夢でないことを証明せよ」という問題が出たそうだ

 

あなたは どのように答えるだろうか…

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↑一部が読めます

 

kei (「蜘蛛の糸」2021.3月の記事を流用しました)