午睡の後ノートPCの隣に届いた本が置いてあった 筒井康隆「川のほとり」が掲載された「新潮」
筒井のこの短編を読むために入手した
薄暮 どうしてなのか気だるく 何となく寂しさが残る あの時間
寝ぼけ眼でページの最初を開くとその作品が載っていた
ライトを点けずに読み始めたため やや読みにくかった けれども最初の2ページはそのまま読んだ
物語の世界も 晴れでなく曇りとも言えない空の下 砂と幅広の三途の川が見える世界だった ちょうど本を開いている今のような 白を基調とした風景
たった5ページ 死んだ息子との夢の中での対話の物語
51歳で亡くなった息子「真輔」は画家であったこと 結婚し2人の子どもをもうけたこと 「食道がんステージ4」体調の異変を父である康隆に告げること無く 逆に最後に父の家を訪れた時は 父の脚の具合を心配しインターネットで調べ「痛風」だと告げて いつもの表情で去ったこと 父にとって笑顔で俯く表情が印象に残る優しい 愛しい息子であったこと・・・そんな父と息子が三途の川の縁で静かに対話する
物語をそのまま転載するのは作家に失礼だろう ただ 印象に残る下りがあった
「お前が死んでしばらくしてからだが、母さんがわしに『真輔、どこにいるのかしらね』と言ったことがあった。あれはずいぶんこたえた。怒ったふりで『何を言っている。どこにもおらん』と言ったら、しばらくめそめそしていたが、『夢の中だ』とでも言ってやればよかったかな…」
普段は気丈で涙を見せない母 そして死後の世界も三途の川も信じていない作家の父
そんな母が涙を流し 作家である父自身が「この世界は在り得ないので夢の中なのだ」と断じながらも息子との対話が途切れ 夢から覚めたくないがために言葉を繋ごうと 夢の中で考え続ける
死者はどこにいるのだろう
至極短いこの物語は 「夢」 という
「生と死の境界線を越えた」儚くも限定された世界の物語
しかしこれは 「幻想」ではなく 記憶や光景としてその人の胸に残る
だから 夢もまた”現実と等価の世界なのかもしれない” と思った
いつだったか「上智大学大学院哲学科」の問題で
「現実が夢でないことを証明せよ」という問題が出たそうだ
あなたは どのように答えるだろうか…
↑一部が読めます
kei (「蜘蛛の糸」2021.3月の記事を流用しました)