kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「待ちぼうける 木の根っこ」

中国の法家の思想書韓非子五蠹篇』の中にある説話を北原白秋が作詞し 山田耕筰が作曲した 私はこの歌が好きで そういゃあ…今は ナゼだかこんな気分なのだ

 

1.
待ちぼうけ、待ちぼうけ
ある日せっせと、野良稼ぎ
そこに兔がとんで出て
ころりころげた 木の根っこ

2.
待ちぼうけ、待ちぼうけ
しめた。これから寝て待とうか
待てば獲物が驅けてくる
兔ぶつかれ、木のねっこ

3.
待ちぼうけ、待ちぼうけ
昨日鍬取り、畑仕事
今日は頬づゑ、日向ぼこ
うまい切り株、木のねっこ

4.
待ちぼうけ、待ちぼうけ
今日は今日はで待ちぼうけ
明日は明日はで森のそと
兔待ち待ち、木のねっこ

5.
待ちぼうけ、待ちぼうけ
もとは涼しい黍畑
いまは荒野(あれの)の箒草(はうきぐさ)
寒い北風木のねっこ

 

私が撮った「木の根っこ」は生きているんだろうか? 死んでるんだろうか?

切られた部分は既にムシに食われて穴が開いている けれど根っこは立派なモノだ だから「樹医さんが手を施せば 生き返るかも」とも想った

では この木の根っこは今 生きているのか死んでいるのか… それともどっちでもありどっちでもないのかも知れない

 

「生命」という言葉がある  けれど不確かな感じもしなくもない

この木の根っこは命を 待ちぼうけているような気がして

だけど「存在」しているのは確かだから そちらを信じることにした…

 

kei