近頃は表題のようなことを考えながら絵を描いているのでよく失敗する
前回載せた「テーブルクロス」も上部の色を変えたり 垂れ下がる白をもっと丁寧に描けば 「さらに見やすくなる」⇒「良く見える」のは承知している
けれど それは「良く見せるための小細工」であり
「見られることを強く意識した絵」ということになり 「媚」の匂いがしてくる
これも以前書いたことだが「小学校2.3年の年齢で”絵画の危機”がやってくる」
見たように描けない⇒思うように描けない⇒自分は絵が得意ではない という意識が芽生えてしまう これが何を意味するかと言えは「観察眼」という目が育ったことになるわけだが 観察眼のせいでイメージを生み出し 自由奔放に描くことができなくなってしまう
多くの大人の絵は「つまらない」 観察眼優位の絵だから
キャンバスはイメージをぶつけるための対象であり
「暗闇の中で生まれる視覚」と言っていいモノだ
それがその作品の命であり 描く動機となっているモノ
しかし 描いているうちに どんどん観察眼が高まっていき
いわゆる「見やすい絵」「分かり易い絵」「小奇麗な絵」になっていく
だから 絵を描く者にとって一番大切なのは「目」だが 最も邪魔なモノも「目」なのだ
そう気づいた時 それは他のことでも通じることかも知れぬと思った
最も大切なのは心かもしれないが 最も邪魔なモノも心
最も大切なモノは「命」かも知れない だが自己の命と保身に執着するロシア大統領の言動を見ていると 情けないにも限度があるだろうと 呆れてしまう
大切なモノは邪魔なモノ さてはて…
kei
「アンジェロ=ブロンヅィーノ」愛の勝利の寓意 1545年
ミケランジェロ以降 イタリア絵画は「マニエリスム」が台頭し このように寓意に満ちた 背徳的な 奇妙な絵が流行した どんなところが奇妙か探すのも面白い