kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

そんなに「何かでなければならないか?」

高校で美術の時間 生徒はスマホに顔をすりつけてその絵を真似る

別に上手に描いてくれなどと頼んでもいないのに…むしろ逆の方が面白いのになぁ

でも 私は授業中のスマホ使用を禁止しない

スマホを使おうが使うまいが それを見て仔細に描こうが 評価に関係ない

そもそも論から言えば

過半数以上の生徒は「面倒くさい」のである ならばその絵はただ「メンドクセ」と語っているに過ぎない代物

生徒に外の教科の教科書をみせてもらう

「情報Ⅰ」のクセに何を書いているのかよくわからないし 面白くない

ネットでの著作権だの ナントカ権だの 色々書かれている

「コレ。面白い?」と聞いたらノー。と答える 「コレ読んでわかるの?」と聞いてもノーだ。 他の教科でも いわゆる「お客さん」はゴッソリいるのだろう

何で解らない勉強を「テストに出す」とか脅して学習させるのだ?

わからないのはわからないまま

「人は己の知ること以外知らない」これが真理だ

だから 小学校でも中学校の勉強でもいいから「わかる授業をやればいい」と思う

だが授業に出 寝たり ぼんやりして 3年間を過ごす人もいる

私は「ヤルならヤレばいい」「ヤラないなら帰って寝たら」と言いたくなる

それとも 一応「高卒」という資格か体面を持つためにソコにいんの? 

 

正直下らないと思う

 

人に肩書や身分が必要か?

額に安全マークが必要か?

「私の資産は100億円」とキョンシーの様に札を額に貼ればモテるのか?

スタイル良く 美形だと愛されるか?

へ? 高々100年足らずの生 岩石や樹木より ネズミかウサギに近い方の生

何かでなければならず。 何者かであらなければならない。って息巻いても

タダの「獣一匹」に過ぎない

 

kei

飛ぶ蝶