kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「役に立たない」こその意味

トリックスター(道化)」の記事は随分書いた

第二期ということは「紀元初期」頃かと思う

それ以降

中世西洋では「芸術家」はキリスト教の手先として役目を担わされた

画家はひたすら「聖画」を描かされ 音楽家は「聖歌」を作らされた

つまり社会の「役に立たせられた」ことになる

それに反抗したのがルネッサンスで レオナルドもミケランジェロもイエスの頭に光輪を描かなかった 彼らは神を否定したわけでもないが いかにして人間の中に神を封じ込めるか独自の工夫を施した もしくは人間・自然=神と解釈していたのかもしれぬ

第三期は近代 そして現在は第四期に差し掛かろうとしている状況で その時には芸術家は 産業構造に飲み込まれ「道化ではなく狩人」の領域に移動させられている この者達は すでに「芸術家ではなくデザイナー」ということになるのだろうか…

私はどんな絵を描きたいか考える 

 

デザイナーにはなるまい と思う

 

私の望みは第二期の農耕期の「芸術家」であり トリックスターの直系だ

 

トリックスターは「天邪鬼」である トリックスターは「破壊者」である

トリックスターは「バカ」である トリックスターは「転覆者」である

そしてトリックスターは「役立たず」である

 

それは働かない2割のアリに似ているかもしれない

 

だが役に立たないからこそ 純粋な音楽は純粋に美しく在れる

歌詞にプロパガンダの要素を含んでいたら それはもう音楽ではない

 

美術も同じ 役に立たなければ立たないほど純粋である 

だから 大衆に媚びたり 多くの人からのウケを狙って描いてはいけない

 

それは「不純」である

 

kei