kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「脳」ネガティブな臓器

スマホで上記のことを語る医師の話と出版した本の紹介があった。

とりわけ60代 という「何すりゃいいの=抜け殻世代」に向けて著されたようだ

失礼だが 名前も本の題名も覚えず ほとんど飛ばし読みだった

「なるほど 脳って根暗なわけだ。 まぁ…当たり前だわな」と感じたので あまり読む気は起らなかった ただ具体例の逸話が載っていた 糖尿病予備軍同士の2人の男の一方は「飲みに行こうや」と誘い もう一方は「血糖値がまた上がる」と拒否気味 するともう一方は「石を投げれば糖尿病持ちに当たるご時世だろ?大丈夫だって」と強引に飲み屋に連れて行く…という話。

筆者は 誘う方は「ポジティブとはいえず ただ無謀なだけ。よってエビデンスのある生き方をするべきだ」ということなんだと思う

エビデンスとここで敢えて使ってみたが つまるところ「自分の都合よく人は『エビデンス』という言葉を用いる」のをよく知っている 「客観的」と同様に胡散臭い言葉である

もとい ここで ネガティブとポジティブという言葉も出てきたわけだけれど わたしはカードかリバーシの表裏程度のことだと思っている

ゴーダマは云う「一切皆苦」 全ての道はローマじゃなく「苦」に通じる

または東西北の門の逸話 北の仏門以外「老病死」三方の門が苦なのだと… これも 不遜だが「まぁ…そうだろうなぁ」と思う

この歳になれば 身内や友人からも死者も出るし 面倒な事も起こる ティーンエージャーとは違う だから「脳は元々ネガティブなんだから あんまり心配すんな」という著者の弁は納得ができる

 

なぜ 脳はネガティブなのか… ここからは私の思考だけれど。

知見 体験 記憶 等 今の自分の脳に巣くっているのが「大概辛く イヤな記憶」だからで そのためトラウマという言葉が当たり前のように使われる

でも もっと深部には「本体」があるからだと思う それは「自分がいずれ死ぬ」と知っていること これが分かってしまった生物は 臆病にもなるし ペシミストにもなるし ネガティブにもなる 私もわかるので 私の脳も十分にネガティブ

でも 「…だからなんなの?」 というのが 今の私の判断

ポジティブ思考はいいけれど 自分をポジティブだという人は あんまり信じられないなぁ…そんなこと 敢えて言葉にすることじゃない

ネガティブな脳であるからこそ 未来を憂う 健康を気にする 積み立てNISAをやるのだろうけれど 終着点はポジティブだろうがネガティブだろうが同じ

死は意識しようが しまいが どうでもよかろうが…いつか私を動かぬ物体に変えるだろう  じゃあ そんなに気にすることもない。

存在している間 生きている間 体が動く間 考えることができる間 応じたことをするだけだ

 

kei