kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「Pop Star」

知る人ぞ知る「アンディ・ウォホール」作 題名「キャンベルスープ

「Pop Art」という芸術を生み出した作家

因みにこのキャンベルスープの図柄は本物の缶を見て描いたのじゃない

キャンベル社からたまたま全く同じ図柄のカードが送られてきたらしく それをそのまんま転写し 先ず1個のキャンベルスープ缶を描いたことから始まったので このアーティストは「全く自分で新しく生み出していなかった」 彼は始めグラフィックデザイナーの職に就いた その頃の画力はセンス・描写力共卓越していた

マリリン・モンローを描いたこの絵は「描写力」の方を示しているが 洒落たデザインはもっとスゴイ なのでとてつもないセンスと技量をもっていたにもかかわず キャンベルスープはカードの図柄をそのままパクり「技量を全く見せなかった」

なぜこのような芸術が生まれたのかは「マルセル・デュシャン」の”便器を買ってそれにサインを書いてアンデパンダン展に持ち込んだ”ことから始まるのじゃないかと思う デュシャンは「ダダイズム」の創始者であり 「ダダ」とは”おもちゃの馬”のこと つまり「ど~でもいい意味というか『意味なし』」を込めてそのように名付けた 日本語では「芸術破壊運動」とも言われるダダイズムは アメリカ国旗を描き「これは絵じゃなくて旗」アメリカ地図を描いて「これも絵じゃなく地図」と言った「ジャスパー・ジョーンズ」の「ネオダダ」に引き継がれる その流れを見たであろうウォホールはキャンベルスープをそのまま作品にしてしまうポップアートを生み出した

「ポップ」それは「ポップコーン」のように軽い響きがあるけれど それは日本人の思い込みで 英語圏では特別の意味を持つ ウォホールが生み出した「ポップアート」はお高く留まっていたサロン芸術を根こそぎ引っこ抜き 芸術を大衆を委ねたことになる それは同時にヴィジュアルデザインとアートとの境界線を消し去った大事件だった

 

なので「ポップ」の意味は非常に重い

 

ここからが 本題なんだけれど 日本人でただ一人「ポップスター」が生まれてしまった。「大谷翔平」である  …ジャンルを超えている。

アメリカ人は「人種・国籍差別志向が強い」 野球界においては ドミニカ選手が プエルトリコ選手が キューバ選手が ベネズエラ選手が 驚異的な成績を残しても 賞も与えられず 取り沙汰されることがなかった MLBはこれら他の国籍の選手が当たり前のようにゴロゴロしており 名選手も数え切れないのに 彼等の人気はMLBのみに限定され MLBは常にバスケットやアメフトの下位に置かれ さらに人気が下降していった それを挽回するために 試合のスピードを上げる等様々なルールが生み出されたのが現在

ところが大谷翔平は おそらく初めての例外になってしまった

アメフトのレジェンドクラスの名選手が彼を「ポップカルチャー」になったといい

バスケットのレジェンド レブロン・ジェームスが大谷を褒めちぎった 野球以外の超大物がこのような反応をし 野球を知らない女性たちが黄色い声を上げ 最大の決め手は子どもたち 「ジャッジではなく 圧倒的に大谷翔平に惚れ込んだ」事じゃないかと思う

 話題となったのは、オレゴン州ポートランドのラジオ局『KFXX1080 The Fan』のポッドキャスト番組「Primetime With Isaac And Suke」だ。ホストを務めるアイザック・ロッペンハイマー氏が「アメリカでの(アーロン・)ジャッジとオオタニの人気度は同じくらいだと思うけど」という問いかけに対して、ゲストたちが真っ向から反対したのだ。

 ある出演者が「カジュアルなファンはジャッジについて『ワオ。すごく背が高いね』という事は知っているかもしれない。でも、僕が子どもに野球を教えている時に小さい子たちはオオタニについて知っていて、質問をしてくる」と話すと、番組のメインパーソナリティーの一人で、元NFL選手であるジェイソン・スカーネック氏が「僕の周りではスポーツのファンであっても、そうなくてもオオタニのことは誰もが知っていて、みんな何気なく彼のことを話題にしている」と同調。そして、こう論じている。
「正直、そういう人たちからジャッジに関する最後に質問を受けたのはいつだったかすら覚えていないよ。」

 

大谷翔平は 国民栄誉賞どころが日本銀行券(紙幣)に用いられても不思議ではない存在になってしまった 昨日のパドレスとの試合でそれを決定づけた

「あの尊大なアメリカが 大谷翔平だけには完全に降参した」

日本人としては当然 それは政治家でもいなかったし 学者でもいなかったし 作家でもいない

こうして考えると 危機感さえ感じてしまう

ロバート・ケネディはダラスで 多くの人が見ている前で頭を打ち撃ち抜かれた

ジョン・レノンは狂信的なファンに胸を打たれて死んだ

アメリカ イズ ナンバーワン思想」に囚われている人間は大谷や奥様を標的にしかねない 住居が報道されるどころじゃない 優秀なSPで身を守らなければならないレベルに来ているのじゃないかと思う

もちろん こんなことは杞憂であって欲しいとは思うが…

アメリカにおける「ビートルズ」並みの存在になってしまったことは事実だとわかった

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