kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

AIの絵 人間の絵

Windows11に組み込まれている「copilot」と言うソフトは文書作成から描画に至るまで人工頭脳が行ってくれる ただし「世界一の美人」と入力しても「個人をあらわすような描画はできません。」という回答が返ってきて描いてくれない。…ということは「何なりかの理想のモデルのようなものが実在していて参考にしている」んだろうか。よくわからない

ただ数枚 実験的に「短い言葉で描かせてみた」

題名「ぶっ飛んだ絵」

アイディアは悪くないが なぜこれがぶっ飛んだ絵なのか、なぜ白黒なのか不明 女の髪が不自然

題名「とても神秘的な絵」

う~ん。樹木も土もあまりに自然からかけ離れた人工的な印象が先ず目につき 神秘性を感じない。 なのでやはり「ぶっ飛んだ」「神秘的な」といった 漠然としたプロンプトでは いい絵が描けないようだ…

「時折 私はAIに絵を描かせてみる」

その理由はAIでは描けない絵「人間の絵」の絵を描くための「対照的参考」として見る。 政令指定都市などでは よく公募展などが行われ 一般から100号以上の大きな絵を募集し 審査を経て発表される 私も大学時代は出していたが その中で展示される絵の中には上の2枚の絵に似た作品が少なからずあった 冷たく評価すれば「わずかなアイディアと描写力と表現力」さえあれば入選 …というわけ

連続的に出展しているうちにバカバカしくなってきたこともあり 絵がわからなくなった

AIは日進月歩進化していくだろう 20年後 将棋の藤井七冠はAIに勝てなくなるような気がする 今では電話の問い合わせも ~なら1を。 ~なら2を。というコンピューターボイスが大企業ではほどんどだ。「AIやコンピューターを利用している」と考えているのは雇用者側 職を失うのは被雇用者 それが顕著になっていくだろう 私には労働や経済のことはわからず素人であるけれど…

ただ美術 殊に「絵」ならわかる

1655年作 ヨハネス・フェルメール真珠の耳飾りの少女

青い石 ラピスラズリをふんだんに使ったこの絵は 当時「完全な一点透視図法」をガラス盤に投影する器具=ピンホールカメラ(それをそのまま格子線を引いたキャンバスに転写する)「カメラ・オブスクーラ(ル)」が多く使われていて フェルメールの室内画は完全な一点透視によって描かれていることから この器具を使ったと思われる

さて この絵にはカメラ・オブスクーラを使ったか? 使っていないのではないかと感じる。そのためフェルメールの作品の中でも異質な印象を受ける。印象的な2つの目と涙のようなバロック形状の真珠の大きな耳飾り…これら3つの光が強い印象を与える だがそれだけではない 巧者フェルメールにしては「襟が白すぎる」 よくいうところの「調子になっていない」「白がとんでいる」わけだが 写真ではこのようにならないので「敢えてそうした」以外に考えられない。良家生まれで装飾品をたくさん所有していた妻から 真珠の耳飾りを借りたものの衣装は下女風 決して裕福そうな服装ではない だがフェルメールは「瞳 耳飾り 背景と反応させるための白すぎる襟」等の表現を用いて 少女の純潔性を表現することに成功している と 同時に純潔と対比を成す「赤い唇」

…はたしてAIにこれができるだろうか?

フェルメールだけではない 歴史上の多くの画家はデータとは異なる感性を用いて絵を描いてきた もしかしたら それは何十年 何百年経とうとも 追い越すことも 重なることもない絵画ではないかと思う

 

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