kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「描く悩み は生きる悩みとおんなじだ」

何枚もの大小描きかけの絵が置かれてあり、今でもそばに置かれている

もう何か月も描いていない 毎日 自分の怠慢さに辟易する

1月に那覇で個展をやり あり余るほどの作品を持ち込めるほどだったのに

今はブレーキがかかり 「描けない」

それはChatGPT とか AIの画像生成がブッたまげるほど発達したことも関係しているし 2023年現在 力による領土拡大やテロリズム等5000年間全く変わらず戦争をする「人の業」とか 個人的には定年を迎えて生き方を考えなければならない という節目であることも関わっている

だから個展をやった時の絵程度では 満足どころか不満と苛立ちで破壊衝動に走ってしまいそうで困っている

「ただ…」  このように葛藤や悩み 時にはそれを放り投げ無責任状態になることは

「生きること」だって全く同じ

平和に のんきに 愉しく暮らしている人々を 私は素直に同意し 賛成する

だが たまたまか 他の多くは そうではない生を生きている

 

AIでは描けない絵でなければ面白くない むしろAI絵画を逆手に取るくらいのことをやらないともっと面白くない。何故そう思うのかは「私が人間だから」に外ならない

私はコンピューターと競い優位になりたいわけではない 将来 能力では負けるに決まってる 

人間の証明」という映画があった それに例えるなら能力ではなく 人間であることを認知し続け 生き 描きたいのだと思う

このような駄文を読まれている方にはお詫びしかないのだが…

 

自分は人間でいながら いつも「人間」を追いかけているのだと思うし

少なからず そういう人がいるのではないかと察する

 

kei