…これは孔子の言葉の意訳ってところ。
明日 新年会という事で100余名の職員が集まることになる
今回はウチの部署が幹事となっているため 余興をしなきゃならなくなった
例の「恋のフォーチュンクッキー」の歌とダンスをやるわけだが
私担当のベースは覚え8割程度 今は絵の方に神経が行っていてしまっていて
私は1つの事に没入しそれ以外できないクセがあるので 今夜1、2回弾いたらやめよ
一応楽器パートも複数の若い女性のヴォーカルも揃っているので曲にはなる
でも「余興」である。
余興でよくやるのは「最低限度の曲には仕上げる」「上司を面白おかしく担ぎ上げる」ってところか…
正直 「余興」や「セレモニー」とか 関心がない
余興やセレモニーって 生きているから出来る事なんだろうが
「本当に生きている奴がすることか?」と思い返すと疑問が残る
秋元康が書いた歌詞は 彼自身の人生観であり 心である
「ツキを呼ぶには笑顔を見せること」
ならばこの瞬間だけでも笑顔で歌わなければならない それがこの曲への礼儀ってもの
しかし全然そうじゃない
ただ手足を振り振り歌っているだけ まぁ 緊張してんだろう…若いから
でも孔子の言う通り
「 未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」
だから いつでも どんな時でも生きていなきゃならない。 と自分に問う
他の人のことは分からない
kei