kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「フランシス=ゴヤ」

2018年06月24日記事

この画家は1700年代末から1800年代初頭に活躍した スペインの宮廷画家

私の絵の師匠が好きな画家 おそらく「人の中の闇」が見えた画家

La_familia_de_Carlos_IV「カルロスⅣ世とその家族」
宮廷画家なので このような王家の肖像画も描くのだが なぜかほとんど美化されていない
画面左から 少年 ゴヤ自身の自画像 若者 そして額におおきな黒いできものがある老婦
暗愚な国王 狡猾そうな中心の婦人 風刺をこめて
まんま描いたと思われるが なぜ王家がそれを承認したのかは 私にはわからない

 

1792年 名声と共にゴヤは聴力を失うが そこからがゴヤの真骨頂  

晩年は宮廷を退き 別荘で「黒い絵」の連作を始める

         「食事をする二老人」

右側は老人ではなく ほとんど「しゃれこうべ

         「魔女の夜宴」

「黒い絵」シリーズは人物の表情 捉え方が凄い というか・・・ともかくスゴい

       「砂に埋もれる犬」

「黒い絵」群は もう宮廷画家の匂いはしない 

というか 200年後に描かれるような現代絵画の領域かもしれない 

このような状態となった犬を 本当に見て描いたのか 想像で描いたのかはわからないが

犬が絶望的状況の中で 虚空を見上げている

       「我が子を食うサトゥルヌス」

サトゥルヌスはギリシャ神話に出てくる「クロノス」のことで 主神ウラヌスの子であり

自らも主神となるが お告げによって「我が子によって殺され その地位を追われる」と知り

次々に生まれた子(神々)を食べていく 最後に食べられなかったゼウスによって

予言は完成することとなるわけだが・・・

私は 昨今よく見られる 親による子どもの虐待のニュースを読んだり

強いマザーコンプレックスによって 独り立ちできない母子などを見るにつけ

この絵を思い出す

これは神ではあるのだが なぜ このような人物の表情を描けるのだろう

(後で調べたが 後代この絵は修正されており、オリジナルは陰茎が勃起している)

描けるということは わかるということ 感じ取れるということ 私には無理だ。

 

以前 このblogで

中学時代によく遊び 学校をサボり 自宅にお邪魔した友人のことを書いた

当時はご家族4人暮らし お父さんは公務員 お母さんは優しい方で サボっている私たちは その家で楽器を持ち込みバンドの練習をしたりした

そんな私たちにさえお菓子を出してくれたお姉さんは高校生 茶目っ気と優しさを備えた美人だった

(彼の家に行くとき「お姉さんに会えるかも」と期待したのは私以外数人いた。)

友人自身もバスケットボール部のキャプテンであり 顔だちも良く多くの女子にモテた

絵に描いたような 円満で理想的な家庭に見えた

けれど 不思議に思ったことが一つだけあった それはその友人の描いた人物の顔

当時 絵の技術に関しては私の方が上だったと思うが… 

彼の描く人物の顔はゴヤの「黒い絵」に匹敵する迫力があった

狂おしく 破滅的で エキセントリックな顔   私には描けないと思った

その彼が高校卒業後すぐに自動車免許を取り 姉と共にドライブ旅行に出かけ

居眠り運転だろうか 対向車のトラックと正面衝突し 本人もお姉さんも亡くなった

18歳の命だった


絵に描いたような平穏な温かい家庭に育ち 何不自由なく生活していたと思われる彼が

どうしてゴヤのような絵を描けるのか 描いたのか 私の中でそれは「謎」として残った

そしてゴヤの絵を見るたび 彼を思い出し グシャグシャにつぶれた二人の乗っていた車を思い出す 

いつか私も「闇」を描けるかもしれないし 描きたいと思うかもしれない・・・

kei