kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

空・滑り台・寿陵余子

2020年12月23日記事

2人の幼い子が滑り台に乗って遊んでいたのを見ていた 1人の子が仰向けになりながら滑った
その子にはこんな空が見えたと 思った
もう1人の子は 滑る子の合間を縫って 滑り台の連なったローラーに手を触れ 回していた
1人は動的 もう1人は静的 幼いうちから もう個性が顕れている
2人は正真正銘の子どもであり 心に「傷らしいもの」はない 笑顔がそれを語っている
そのような子が中学生になり 高校生になり 大人となっていく過程で 賢くなり
そして 死についても学ぶ 中学2年生の生徒がいじめなどによって 自ら死を選ぶこともある
辛かっただろう けれどその中学生は 生を生きたか?と考えるとよくわからない
なので 死もよくわからないまま 旅立ったのかもしれない
そんな子を死に追いやる社会とは一体いかなる社会なのか・・・ならば私も加害者の1人

まだ芥川の「歯車」が私の中で消化されず 胃の中に留まり続けているようで 思い出しても胃がシクシクする
「芥川先生と呼ばれると虫唾が走る」と書いた龍ちゃん。貴方の物語には風景はたくさん出てきたが『空』は無かった 
45度の角度で見上げればそこには空と雲しかない 私はそれを見ると矛盾もディレンマも苦も忘れ ただ眺めて癒される 私が貴方について言いようのない痛みを感じるのは
「45度上を向いた空の世界でも半透明の歯車群が見え 軋む音を立てながら回っていたかもしれないと想像するだからだと思う」 
そうなってしまえば逃げ場がないもんなぁ・・・ 

芥川龍之介は俳句をたしなんだのか 寿陵余子(じゅりょうよし)という号を持っていたことが「歯車」でわかる
寿陵余子」のエピソードは「荘子」であるのに それを間違え「韓非子」の言葉から引用したと書いている けれども意味は同じ
寿陵余子とは寿陵に住む若者という意。昔、中国の寿陵(じゅりょう)という田舎町に住む若者が趙の首都であった邯鄲(かんたん)の人々のスマートな歩き方に憧れて上京してその歩き方を学んでみたものの、ものにするどころか本来自らの寿陵の歩みを忘れ去って七転八倒、這いずりながらやっと寿陵へ帰り着くことが出来た。理論家の公孫龍(こうそんりゅう)ですら荘子の哲学をものに出来ないことを皮肉った『荘子』「秋水篇」にある説話。
らしいが 「歯車」では田舎者として都会に出ても都会人にもなれず(すなわち志賀直哉のような自身が強く嫉妬するほどの「私小説」)それをあきらめて故郷(「地獄変」に見られる「芸術至上主義文学」)に戻ろうとしたが 帰り方わがからなくなり 迷ってしまった中途半端な自分を皮肉って「寿陵余子」と名乗ったのだろうか…
だったら 俺もおんなじだ
何から何まで中途半端しかできなかった 龍ちゃんが死んだ年齢より20歳以上も上なのに

蜘蛛の糸」にしろ「地獄変」にしろ私小説「歯車」にしろ どれにしても「自嘲的・自虐的」だ

なんでそこまで自分を追い詰めていくんだ? 龍ちゃん

やっぱり お母上が狂死したからなのかな? 
だが龍ちゃんだって幼い頃は 滑り台に乗って滑れたと思うし 歯車のない青空を見上げられたと思うんだ

 

kei