作家「開高健」の絶筆「珠玉」 十分に自己の死を予感しながら仕上げた作品
アクアマリン ガーネット ムーン・ストーン
3つの宝石(貴石と言ったほうがいいか・・・)になぞらえた物語
キレる言葉
とろける言葉
光る言葉
「志賀直哉」は小説の神様。と同僚から聞いた。 そのとおりだと私も思う
「開高 健」は ヘミング=ウェイが少し混ざった感じだろうか。
(ヘミング=ウェイ自体あまり読んでない(´・ω・)
当人は「これぞ珠玉の名作」と自らの本の題名をフザけて吹聴していたらしい
ベトナム戦争の只中を駆け巡り 彷徨い歩き まつわる作品を生み出し続けた
言葉の名工(プロフェッショナル)に相応しい 「珠玉」だと感じる
そして 小説の最後の言葉は 今も私の中で 居座り 静かに燃えている
本の結びの中編 「一滴の光」
女と温泉旅行に出かけ、食べ、酔い・・・その終盤
風呂場で女に立ってまたいでもらい オシッコを全身に、顔に浴びせかけてもらう。
変態・・・・・・? 違う
そんなもの とうに超えている
最後の文章を引用させてもらう。
(・・・・・・・女だったのか)
このところずっと耳のうしろに漂いつづけていた疑いとためらいが一挙に氷解したような気がした。とけてみるとそれはまったく幼稚で、はじめからわかりきったことであったような気がする。けれど、迷いは迷いだったのだ。月下の白い宮殿はのこる。大いなる鐘の沈んだ淵ものこるであろう。けれど、核は出来たのだ。ふいに、思いもかけず一瞬で、仕上がったのだ。ふたたび甘美な、気遠い、熱い晦冥(かいめい)なかにへ重錘(おもり)のようにしずんでいく。
(・・・・・・・女だった)
1990年
女だったのか…と問う 「月下の白い宮殿」とはタージ・マハルやアウランガバードにある同様の建築物ビービー・カ・マクバラー 愛する妻のために建立された 純白の大理石の霊廟を指すのだろうか…鐘も似たニュアンスで使われているのだろう ただ遺跡とは全く別に新しく彼の中で「核」が出来上がる その「核」とは 未だ私の計り知れるものではないが 何となくわかる気がする
(女だった…)
「男という性は存在せず 世界はただ赤子と幼児と女だけが存在する」バングラデシュでも感じた
これと今の世界の距離を計測すると 先進国は随分離れすぎてしまった
誤った方向に進んでいるのかも知れない
縦型社会構造を築いたのは男であり その構造の中に女を組み込むというのは「性差を超克している」という大衆の認識がなければばらない
ただし いたるところで原初の神は「地母神」であったのだ
kei