kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「自分の中に何人の自分がいるか」

フロイト精神分析によると概ね3つの自分が内在していることになる

自我(意識的あるいは無意識的に「これは自分」だと認めることができる心)

イド【エス(自分の心の中にありながら認めらない心 敵意や性的欲求 愛の欲求など)

超自我(自我へ湧き上がろうとしてくる欲求・衝動が自分として認められるものか検閲するための心 自我とイド両面を見ながら 社会的に承認されるようコントロールするような 上位自我?)

近頃 記事であまり言いたいことがないのか ちょっとヘンな感覚があるのか…

超自我」を調べていたが 私の目論見とはどうも違うようだ

 

私は子どもの頃 自分の中にもう一人の自分がいるのではないかと何故か思い込み 目を閉じると映るもう一人の自分と対話をしていた時期があった 「対話」といっても 言葉を一切交わすことはなく ただ表情で相手の自分の心中を察していたに過ぎない

分離した自分は 大体無表情で冷静 励ましもせず イド的でもない 笑うことも泣くこともない「冷ややかな目」だけの存在だったような気がする 私の「超自我」かも知れないが。

思春期 青春期 勤労者となって 退職し 夜海のそばを歩いていると どういうわけか 子どもの頃に出てきた「別の自分」をホンノリ感じるようになった

息を切らせながら300m走っている自分がいる その間にも「冷たい目の自分」が見ている気がし「どちらの方が本当の自分なのかわからなくなってくる」

もしかしたら 見ている自分に 「おまえはおまえの体を借りてるだけ」と云われている気もして そうであれば 大事に扱わないと…とも思う

 

こうして書くと「頭イカレてんじゃねえの?」と言われそうだ…

 

でもフロイトの言う通り 3層構造の自分がいるのか いや それ以前に「自我」というものが本当にあるのか 近頃よく分からなくなっている

まぁ あんまりマジメで追い詰め型じゃないので「頭がパー」になることはないだろう…

kei