kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「破壊と創造」を併せて何と呼べばいいのか?

ヒンドゥー教では「宇宙と生物の創造神ブラフマー」と「世界維持・秩序の神ヴィシュヌ(恋愛中はクリシュナ)」「破壊と死の神シヴァ」がおり 今もなおインドを主要国として信仰されている この三神は一体であると言われている

一体であるのは当然とも言え「雲の発生と消滅」を眺めていてもわかる

今日は父親の命日であり 私の誕生日でもあるので こんなところから考え始めたのかも知れない 命日と誕生日が一致していることに何か特別なことを感じてはいない ただ「消滅と発生はいつも同時に起きている」と自分に念を押す役目は果たしているかもしれない

 

「いつも同時に破壊と創造が起こっている」 当たり前の話だが

 

宇宙規模 戦争と競争 生まれて3歳までの寿命しかない幼児の実例に至るまで この言葉で貫かれている

「運命論」という言葉があるが それは「時間の経過」を勘定に入れているという点で とても「人間側に偏った考え」だと思っている

演繹法では 「人はいずれ死ぬ」「私は人間である」「よって私はいずれ死ぬ」となるわけだが いかにも人間的 「三段論法」自体がすでに人間臭いのか すぐ自分に当てはめるのが人間臭いのか…

ただ 「事象そのものは『時間が無い』のかもしれない」と今は思う

誰かが今息を引き取ったとして 同時に赤子が産声を上げる

恒星が一つ爆発したと同時に 破片を重力で集約し生まれる恒星がある

…これも当たり前なのだが

人はどうしても「時間を組み込み 測るクセ」が抜けきれない

だから「創造されたこと」に意識を向けたかと思えば 「破壊されたこと」に大騒ぎする

地球という惑星でも同時に起きているこの事象だが 2050年には人口は100億人に達するという 過去にはペスト コレラ 結核等 病と飢餓と戦争によって 日本も江戸末期は1700万人の人口であったとか…その人口を「日本にとっての適正人口かも知れない」とある学者は言っている というより「人間は 人口は減りすぎているか 増えすぎているとしか感じることができない」という思考癖があることをその学者は指摘している

地球の表面温度まで変えてしまう人類だが その時必ず「何かは滅し 何かは生じているが それは同一のものではない」という話かもしれない

 

芸術は一つの言葉では言い表せない「破壊と創造」を矛盾なく表現することができる

F.ステラ 作品

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