J.Pサルトルに言わせると 人は地獄世界に存在しているのではなく「人間そのものが地獄」なので 大金持ちになってハワイに行って悠々暮らしてもその当人は「地獄」を抱え込んでいるか そのものであることには変わりない
近頃アニメ「ようこそ実力至上主義の教室へ」を見ており 各話の題名は歴史上の哲学者や賢者の言葉となっており その5話目だったか 6話目だったか…この題名だった
私はストーリーよりも このサルトルの表題に心を揺さぶられた。
この言葉の引用は 実存主義哲学者でありながら戯曲家でもあった彼の戯曲『出口なし』で登場するセリフ
Pas besoin de gril: l’enfer, c’est les Autres.
(火刑なんていらない。地獄って、他者のことだからね)
から来ているらしく l’enfer=地獄 est les Autres=他(者)
なので 人間ではなく「他の人」を指して 語られているセリフなのだが 実存主義哲学として 自我・自意識・自分を客観的に見る行為が人に備わっている以上 自己を客観視した時 それは「自分であっても他者」となり得る意味も加味されているような気がする
私は「地獄」を世界や環境だと思っていた しかし自分を含めた人間一人一人が またはその集団が地獄なのだと理解した。
比較的裕福な先進国はそんな風に考えないことが多い
だが 少なからずの国や地域で サルトルのこの言葉は正しいことがわかる
なぜウラジーミル・プーチンのような男が 金正恩のような男が大統領なのか「彼ら自身が地獄であり その地獄を振り撒いている」
なぜ「人間関係で躓くのか」相手は人間ではなく地獄だから
なぜ「いじめ」が起こるのか 思春期からは地獄の仲間入りだからに他ならない
愛する妻 愛する夫 愛する我が子 優秀な我が子 発達障害を持った我が子 すべて地獄であり 同時に自己存在も地獄である
北朝鮮で 凍死 餓死する人々もまた同様ということになる
サルトルは神を信じてはいないし 「天国に対比させて『地獄』と言っているわけではない」と察する また地獄といっても 針山地獄とか血の池地獄を連想させたいのでもないだろう
劇ではとりあえず「地獄って、他者のことだろ?」とシェークスピアに比べて 至極あっさりと短い言葉で核心を突いている 「相手にとって『私』は他者以外何物でもない」
宇宙は地獄ではない 自然も地獄ではないだろう 今はいないシマリスの「りく」も 地獄とは程遠い艶やかな目をしていた 植物も 水も雲も地獄ではない
地獄は 人間だけ
kei