kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「仏教」も「哲学」も実はあんまり気にしていない

前回の記事を撤回するわけではない けれどクソ真面目に考えることでもない

では なぜこのような事を考えるのかといえば「自分の都合」なのだと思う

「描くときのヒント」かも…誠に身勝手な立ち位置だ。

 

「我」か「無我」か… ある時は「我」に執着し ある時は「無我」かもと感じる

「色即是空」かもしれないが「空即是色」と判断してもいいわけで 都合のいい時 どちらかを使い分けているに過ぎない

哲学も同じ ニーチェハイデガーサルトルも 傾倒しているわけじゃない

「神」 いてもいいし いなくてもいいと思っている

 

…とこのように「普段生活している間」は どっちつかずのフラフラ

 

但し 死の間際に瀕した時 望むと望まざるとに関わらず「答え」を見つけるだろう…と思う それが正しいかどうかはわからないが ✕でも〇でも大差はない

 

人は生きているから考え 言葉を用い 概念を生み出す ナザレのイエスさんには失敬だが「はじめに言葉(ロゴスの意)ありき」とは思わない

宗教 哲学 概念 言葉 思考全ては「生」無くしてあるわけがない

今日の朝焼け 撮ったのは私だが 光景の中に私はいない

 

kei