kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「不確定性と存在」

:過去記事より

 

幾度か般若心経の解説は載せたのでここでは一部を抜粋 私はこの経が真実に近いのではないかと感じる

色不異空  空不異色  
色即是空 空即是色
是故空中無色  無受想行識  
無色声香味触法  無限界乃至無意識界
無無明  亦無無明尽 
乃至無老死  亦無老死尽 
無苦集滅道 無知亦無得
以無所得故 


これらの意味の全ては 「死ぬ寸前には誰もがわかる」 そんな気がする


では「空(くう)」の問題はどうなっているのか・・・
「空」こそがこの経の核心だが ピンと来るかと言えば 来ない

確かに雲には定まった形がない 世界は空だらけだが 人は空性よりも実性に強く惹かれる
だから 愚かでもあり 人間らしいとも言えるし 死が怖い


シュレーディンガーの猫のパラドックスの話も結構やったので
「不確定原理」で「空」を考えてみるとしよう

量子力学における基礎的原理。 原子や電子などの世界では、一つの粒子について、位置と運動量、時間とエネルギーのように互いに関係ある物理量を同時に正確に決めることは不可能であること。 1927年にハイゼンベルクが提唱。

簡単に解釈すれば素粒子 例えば水素の核を回る電子は「確実に在る」 でないとプラスとマイナスの電荷が均衡しない 在るが「どこにあるかは捉えることができないし予測も出来ない 当然電子の静止状態を映像で撮影することは出来ない。」「また1つの素粒子には何光年離れていても鏡映しながら同時に動く同じ素粒子があり 2つあるとも言え これら2つは1つになることもある」(ここで「観察の問題」はありますが省略)

この「在る」とも言え 「ない」とも言え 「2つある」とも言えそうな この現実は まさしく「空」に似ている

人は生き存在している しかし同時に「空世界」では死んでいるのかもしれない

でなければ ごく当たり前に考えれば 生きるという事は死につつある という事かも知れない

私自身が生き、存在していると感じた時 私の中に死があり、空で満たされているとも言える

そんな気がする

kei