kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「わたしは一つの細胞」

前回の記事を未だ引きづっているようで…

 

人間の細胞は60兆だとか37兆だとか言われているらしいが ウィルスとか細胞よりもさらに小さな 生物とも生物で無いともいえるソレを足すと一体幾つになるのやら…

その細胞のどれを指して「わたし」というのか よくわからなくなってしまった。

その全部がわたしという人もいるだろうが 全ての細胞がその人のプラスに働くのでもなく ガン細胞なんてのはその典型だろう…

そんなことを考えると 「そうぃゃあ…わたしも受精卵という一つの細胞だった」

わたし。と呼んではみたものの 意志などあるわけでもなく ただ母体から栄養を貰い卵割を起こしながら成長していったに過ぎない

そうして この世に生まれて オギャと泣いて 食べて 便をして 体験して 考えて 今まで生きて来たに過ぎない

 

「意志など持たぬ一つの生きた細胞が 偶々分裂し 成長し 世に出た」

 

そんな存在が 喜怒哀楽したり 虚しくなったり 恋をしたり 悩んだりって…

なんかヘンかもしれないと思ったりもする

これも養老さんのせいかもしれない

 

私たちは始めから 意志ある存在でも 夢みる存在でも 悲しむ存在でもなかった

ただの一つの細胞であったはずだ

 

始まりがそうであるならば 終わりもまた似たような感じであってよく

家族に囲まれようが 孤独死しようが 葬式をしようがしまいが どうでもいいこった…

と思う

 

ただ なんということもない一つの細胞から生じたのであればこそ 

その機会を偶然に得た生物であればこそ  

生きることを実感したいと思っているし 

生きた証として死を迎えることは 自然のことなのだと思う

kei