kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「因果律と確率の混同」

因果律」という言い回しは どこか仏教的で 好きか嫌いか?と問われればあんまり…かも。

して その意味は

因果律】    一切のものは何らかの原因から生じた結果であり、原因がなくては何ものも生じないという法則。

 

こういわれればそうだし カルト宗教では「親の因果が子に報い」とか「あの時の縁者との永遠の別れが因果となって…」とか 何のことだかさっぱりわからない理屈で相手を屈服し勧誘する手口に用いられることもあるのかもしれないなぁ。

 

ただ 原因があるから そこから結果が導かれる  ということは確かにある

 

宇宙の発生も 自然や物理科学の法則もそうかも知れないし

人は「オギャ。」と生まれた因から 生の終わりという結果が生じる

 

雨もまた水分を大量に含んだ雲が 飽和状態を超えると大地に向かって起きる現象 なのだと思うのだが なぜかそれは「降水確率 という%によって表示される」

 

さて…因果律と%との関連性は どういうものなんだろう…

 

例えば実母は 胃がん ステージⅣ 3年生存確率は25%以下と診断を受けたが 15年以上経っても再発することなく生きている 逆に治癒の可能性が高いと言われた人でも悪化し 落命する方もいるのだろうと思う  だから%ってのは案外いい加減なモノだ

降水確率80%でも降らない時がある

 

人という生物が おそらくはコンピューターに近づいたせいなのだろう

パーセンテージ(%)に対し 敏感になる傾向があるのが現代なのではないかと思う

しかしこれは「因果律」という考え方とは どこか違う というか決定的に違う気がする 

因果律とは 「スタートがあればゴールがある」と言っているのであり

「地球に存在する砂粒さえ無数ではない」といった 当たり前の事を言っているので

仮に未来のコンピューターに「100年以内に第三次世界大戦が勃発し95%の人類が死滅する」と言われたとして 1億年後 10億年後かもしれないが「人類は一人残らず消え去る」というのが「因果律」というものなのだろう

 

う~暗い。 例え話があんましよくなかったけれども…

 

なんか「確率的未来観」をアテにするのはいかがなものか…と思った次第。

「波紋」

 

kei