いつだっか…死亡広告欄で「92歳で天寿を全うした」と「天寿」という言葉を使うことに 私は奇妙さを感じた と書いただろうか。
どうもこの言葉が使われるのは90歳以上で亡くなった人のようで いわゆる「老衰死」だから天寿なんだろか?
けれど 当人自身が「天寿」だと感じて亡くなったかは不明 そう言い残した場合もあっただろうが 老衰死のケースが多いことを考えれば 話が出来たかさえ疑わしい …ということは 遺された遺族が90歳を超えているので勝手に「天寿」と判断したに過ぎないことが結構多いと思う
このような遺族の勝手な判断は むしろ「死者への冒涜」なのではないかと感じる
それが一般的にまかり通っているということは「頭どうかしてんじゃね~の?」ヨタ口を叩きたくなり 「一般常識」というものの「奇妙な断片」を見ることができる
天寿というなら 何歳で死のうが天寿かも知れないし 自分で死を選んだら 当人はそれを天寿と書き残すかもしれない まぁ「天寿」など どうでもいい言葉だと思っているので これ以上こだわるのもヘン。別な切り口で考えると クイーンのヴォーカリスト フレディ=マーキュリーの言葉を思い出す
I decided who I am 「自分が何者なのかは自分で決める」という感じだろうか…
この言葉は彼が自分がエイズに感染している事を知り それを仲間たちに告白する時発せられたらしいけれど… この言葉は私を励ましてくれる
ゲイであったため おそらくエイズに感染し発症した そして45歳の生涯を閉じた
私は定職を失ったが 「余生」を生きる気など全くない
余生を生きていると自覚しているかもしれない「ゲートボールクラブ」とかに入会し 仲間を作ろうとも思わない
「天寿」などという高邁で不遜な言葉とともに 「余生」は虚しい言葉である
それよりもフレディのように「自分とは何か自分で決める」ことに生の時間を費やしたい
kei