kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「民主主義」②‐不自由な言葉‐

前回の記事で SNSやインターネット上で「不自由な言葉も散見される」とかいた

 

現代はその気になれば自分の思いや意見を ネット上にいくらでも描き込むことができる 自由度の高さで言えば これが「民主制の高さ」ということになるのだろうが…

 

「不自由な言葉」とは「当人の本意でもないのに 自分の所属する集団や組織の意向を代弁するような言葉」という事になると思う

 

日本人は往々にして…いや。しょっちゅうこれをやらかす

 

その例は枚挙に暇がない

 

例えば「旭川で当時14歳の廣瀬爽彩さんが凍死して見つかった事件の背景に凄惨なイジメがあったことについて」
学校も教育委員会も「自分の組織を守るための答弁に終始」し 誤魔化し続けた

企業が起こす 夥しい不祥事も同様の答弁や会見を行う

これもまた 「誤魔化しても嘘をついてもいい自由の行使という意味で民主的」なのかと問えば それは違うと思う このような言動は「反民主的」だからこそ起こることだと思うからだ

「主義」は私にとってあまり意味のある言葉ではないが

犯罪者も 殺人者も 芸能人も インフルエンサーでも 子どもも 主婦も 老いた人も 障害を有する人も 死人も 「人」であるのだから これらすべての人に考え得る限りの自由について考えるのが「民主的」ではないか…

kei