kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「無罪と死刑の境界線」

4年前の2019年7月、京都市伏見区の「京都アニメーション」の第1スタジオで、ガソリンをまいて火をつけ、社員36人を死亡させ、32人に重軽傷を負わせたなどとして殺人や放火などの罪に問われている。

当初犯人は「A男」という名前だった。そして一審「死刑」判決が下りた時「青葉真司」という名前に変わった。

明治以降最大の犠牲者となったこの事件 なぜA男だったかと言えば ガソリンを撒き炎をつけた瞬間 火は自分の身体にも燃え移り 瀕死の重傷となった 生き永らえたのは「むしろ幸運」だったと言われている 自分のアイディアの京アニに盗まれた等の妄想を持ち続け 精神病もしくは精神障害であるかもしれない ということで当初実名は明かされることはなかった

裁判で問われるのは責任能力という 不思議な言葉

「不思議な言葉」と書いたのは当然私

 

この度の「死刑判決の理由」は妄想等狂乱は一時的なもので責任能力アリと判断したからだ また「判例」として残り続けることを考慮すれば「死刑」以外なかったと思われるが… もし長きにわたって精神障害を有していたとしたなら「無罪」となる 実際 即刻控訴したとのことだが「責任能力の無い人間が自由に往来の中を歩ける」というこは一体どういうことなのだろう… 

そんなケースは無い と考えるのは容易いが 実際は「たくさんいる」

細かく説明するのは省くが たくさんいると思われる

そのような人を全て捕らえて病院送り…というのは非情だし 非現実的でもある なぜなら 正常・異常など殆ど内面に持っていて それが言動として顕れるかどうかの違いであり 全く正常=純白 の人格は 皆無に近いのではないかと思うから

そこでイギリスや韓国は街中に数千万台という夥しい数の「監視カメラ」を設置する カメラはAIと連携し 動きのおかしい人物を抽出して表示することもできる  多分 日本もこのようになっていくのだろう

 

ただ やっぱり不思議である

監視カメラを作り監視しているのは人間だし 何より警察という機構もあるということは

「人間は自己を律することができない 不完全な生物」の証明ではないか?

そのように考えると 自分自身も 社会全体も ホントにマトモなのかどうかわからなくなってくる…

kei