kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「人を殺す夢を見た」

例の如く夜中の3時に目が覚めて 1時間程度ボンヤリしてからまた床に就いた

その時夢を見ていた 「某軍事大国と日本のパーティー会場」仲の悪い2国がなぜ交流を持っているのかは夢の中では考えていない ただ自分の手元には異様に長い旗のついた棒があり 私は旗のついていない方の棒の一端をセッセと削り槍のように尖らせていた それを握って某国の重鎮の一人の心臓めがけて槍で突き射した 一度目の突きでは心臓まで届いていないと考え もう一度さらに力を込めて深く射した この2度目の力の込め具合が 目が覚めた後でも手に 感覚として残った 別にその男を憎んでいたわけでもなく ただ敵国の要人だから殺そうとしたのか よくわからない…

私はその場から去り逃げ 逃亡の算段をしているうちに 必ず捕まるだろうと予想した もう紙面で「暗殺」の記事が載っていたので おそらくは死ぬまで獄中だろうと察しながら自首することにした…そのあとはいい加減な取り調べがはじまり その時目が覚めた

「自分は殺人を犯していなかった」 と 混乱しながらも安心した

 

なぜ こんな夢を見たのかボンヤリ考えた

おそらくは前回の記事「京アニ放火事件」の犯人の心の中が引っかかっていたのだと思う

毎日のように 親族殺人やネットを介し知り合った男女等の殺人事件がニュースに載っている

同類である生物を殺す心理状態とは どんなものなんだろう

「千差万別」かも知れぬし 共通の何かがあるのかもしれない

戦争は生身の人間同士の殺し合いであり 今も世界のいたるところで起きていることを考慮すれば 殺人は存外簡単なのか でなければ 人間は「正気と狂気の間を行ったり来たりできる存在」なのかもしれない

ヴェトナム戦争によってPTSDを負ってしまった人の心の中

今戦争やゲリラで戦う人々の心の中

これらも人間の心の一面であるならば 想像すること 考えることは無駄ではないと思う

kei