kei 「蜘蛛の糸Ⅱ」

2023年3月退職 後の生と死を「絵と言葉」で考えたい…4月からは「画家」か?「肩書を持たないただの人間」として生活していこうと考えています。

「裁判における『刑事的責任』の境界線」

…と 書いてはみましたが 私の中で「未解決」の問題なので コメント等でどなたか 教えて頂きたいです

表題は 個人的には悩ましい問題であり 社会にとっても重要な問題だと思います

それは 今話題の「京都アニメーション放火殺人事件」についてで 判決が2024年1月25日に宣告される予定だからです 詳しくは京都アニメーション放火殺人事件 - Wikipediaを読んで下さればと思いますが その物量(使われている文字の多さ)からもこの事件の重大さと難しさがわかると思います

端的に言えば 犯人Aは京都アニメーションの社屋に入り込み 10kgのガソリンをぶちまけ放火した 自身も医者がほぼ確実に死ぬと診断したほどの大やけどを負ったが 奇跡的に生存し 車椅子状態だが話はできる そしてこの犯行によって死亡したアニメーター等スタッフは36人 個人が起こした殺人としては明治以降 最多の死者となった

亡くなられたスタッフの半数は実名を公表しているのに 36人もの人々を殺し 負傷者を加えると69人の被害者を生み出した男の名前は「A」として伏せられている

このことが事件に興味を持つきっかけになった

なぜ 犯人「A」なのか…それは刑事的責任が負えるか否か と関係している

子どもの頃から父親からDVを受けるなど 肉体的にも精神的にも生活的にも苦しい境遇で育ったためか 定職に就くことができず 犯罪に手を染めるようになる 2012年には強盗および銃砲刀剣類所持等取締法違反に問われ、同年9月には水戸地裁下妻支部で懲役3年6月の実刑判決(自首認定により減軽)を言い渡される。当時は30歳代半ばで、同年10月もしくは11月以降は水戸刑務所に服役したが(中略)2015年10月、担当医から統合失調症と診断された。2013年7月以降の刑務所での記録により、Aは幻聴、幻覚、不眠などによるイライラに悩まされ、自殺のリスクが高い「要注意者」に指定(略)

こういうことからも 大量放火殺人を起こす以前から「統合失調症」と診断され 刑事的責任が問えるのかどうかが 不明瞭になってきているのがわかる

社会への復帰後は「京都アニメーション」に作品を投稿するものの 全て落選 それが誘発原因となったのか「京アニは自分の作品をパクっている」という幻想に憑りつかれ2019年2月 大事件を引き起こす

裁判中での医師の判断では「被告は妄想性パーソナリティー障害で犯行の対象に京アニを選んだ点は被害妄想が影響を及ぼしたが、それ以外の犯行時の行動には影響はほとんどみられない」と答えているが 検察側 弁護側の争点は「精神障害によって引き起こされた事件か否か=刑事責任の有無」ということになるのだろう

もちろん来年1月に判決が下りても それで結審とは限らない 抗告 上告…裁判は最高裁まで行くかもしれないし 途中で棄却されるかもしれない

ただ刑事責任がある。とすれば「死刑」以外あり得ない

刑事責任がない。とすれば そのまま精神系病院送りとなるだろうが 扱いとしては「罪人」ではなく「入院患者」としてなので 病院が余りに手を焼くと他所の病院に放逐したりするケースもあるそうな…

ここら辺がアメリカやイギリスなどと違い 「精神疾患による重大犯罪」を犯した者への対応が不十分であることがわかる 日本の精神病院は「監禁」「拘束」の比率が異常に高いため 欧米から批判を受けている

 

ともあれ 判決は下される

 

アメリカでの連続殺人犯や大量殺人犯も その30%以上が精神病を患っていた という説がある一方で 公表では0.7%としている 結局のところ 精神的な病によって引き起こされやすいという 殺人や放火犯の中に一体どれだけの犯人がそれに該当するのか どこの国もわかっていない

「正常」とはなにか「責任」はそれと関係するモノなのか 精神的病を持っていれば36人もの罪なき人々を殺しておいて「入院」で済まされるのか…

真っ白の人間も 真っ黒の人間も 多分いないのだ 

濃度の差こそあれグレーの濃淡の違いだろう グレーのどの濃さ どの部分に一線を入れるかが問われる事件であり それは「判例」として残る

kei

後記:もし私自身がこの裁判の判決を下すなら 「死刑」を言い渡すと思います。理由は「精神障害による刑事的責任の能力の有無」をあまり基準とせず 社屋にガソリンをまき散らし 火をつける瞬間「死ね」と言葉が発せられたことが 生存者によって確認されているからです これによって「殺意を自ら認知できていた上での行為」として上記のような判断をすると思いますが… これは単なる私個人の意見に過ぎません